東京ラビリンス

翻弄

「なあ、頼むよ。ちょっと顔を見せるだけでいいからさ」
「いくら頼まれても絶対に行かないから」
 講義室の最前列で、遥はイケメン眼鏡に拝まれながら不機嫌あらわに合コンの誘いを断っている。
 そんな彼を横目に、富田は頬杖をついたままひそかに溜息をついた。大学に入学してから数週間、遥には合コンの誘いや女子からのアプローチが引きも切らない。それもどういうわけか半数以上は他大学から来ている。おそらく橘財閥の御曹司がいるという話が広まっているのだろう。性格はともかく、これだけの容姿と頭脳とステイタスを兼ね備えた男を放っておくはずがない。
 遥はこういったことにまったく興味を示さない。にもかかわらず、しつこく群がられてうんざりしているようだ。初めのうちはそれなりに丁寧に断っていたが、最近はあからさまに刺々しい態度で拒絶している。それでも素直に引き下がる人は少ない。
 隣にいるだけの富田でさえ、うらやましいを通り越してげんなりするくらいである。基本的に遥と行動をともにしているが、まるで富田の存在など目に入らないかのように、男子も女子も強引に遥に声をかけてくる。かと思えば、選択科目で遥と別々になったときは、富田に声をかけて遥のことを探ってくるのだ。
 もちろん友人を売るような真似はしない。遥の籠絡が難しいと悟ってか富田に取り入ろうとする輩もいたが、それがわからないほど馬鹿ではないし、わかっていて浮かれるほど愚かでもない。相手が女子でもそっけなくあしらうようにしている。
 面倒だし腹も立つが、それでも自分は当事者ではないのでまだいい。遥の方は相当ストレスがたまっているはずだ。さすがの彼も、こんな大学生活になるとは想像もしていなかっただろう。
「橘の好みってどんな子? 用意しとく」
「僕の好みは合コンなんかに来ない子だよ」
 とりつく島もない答えにイケメン眼鏡が怯んだちょうどそのとき、教授が前扉を開けて入ってきた。彼はあわてて階段を駆けのぼり後方の席へと戻っていく。これであきらめてくれればいいんだけどな――頬杖をついたままちらりと振り返ると、彼は並んで座る友人たちと渋い面持ちで何かを話し合っていた。

 今日の講義がすべて終わり、富田と遥は学食で向かい合ってコーヒーを飲んでいた。学部の違う澪とここで待ち合わせをしているのだ。遥が話があるといって彼女を呼び出していたので、富田は気をきかせて先に帰ろうとしたが、いてほしいと頼まれたので一緒に待っている。ひとりになるとまたうざったいのが寄ってくるのだろう。富田がいてもあまり効果はないかもしれないが、いないよりはましなはずだ。
 しかし、いつも弱音を吐かない遥がこんなことを頼んでくるなど、相当まいっているのかもしれない。平然としているように見えるが、そう装っているだけということも考えられる。そろりと上目遣いで窺いながら口をひらく。
「おまえさ、大丈夫なのか?」
「何が?」
「何が、って……」
 どう言えばいいのかと頭を悩ませていると、遥がふっと笑った。
「大丈夫だよ。普通に言ってもわかってくれない人たちが相手だから、わざとああいう態度をとってるだけで、別に精神的におかしくなったわけじゃないから。苛つきはするけどね」
「ならいいんだけど」
「でも、ひとりだったらまいってたかも。富田がいてくれて本当に助かってる」
「あ、ああ……」
 思いがけない言葉に、我知らず顔を赤らめながらふいと目をそらす。普段はぞんざいな扱いをするくせに、たまにまっすぐ感謝を伝えてくるのでタチが悪い。慣れていないのでどうしても照れてしまう。そして、嬉しく思ってしまうことがすこしくやしかった。

「橘くん!」
 可愛らしくも媚びたような声が聞こえて顔を上げると、お嬢さま風の女子二人組が笑顔で近づいてきた。これまでにも何度か遥に話しかけていた覚えがある。確か他大学の学生だったはずだ。学食への立入は禁止されていないので仕方がないが、遥がここにいることをどうやって嗅ぎつけたのだろうか。
「橘くん、合コン嫌いなんだね。実は私もなの」
「…………」
 遥は無視を決め込んでいるようだ。
 しかし、合コン嫌いというのはどこから得た情報なのだろう。自分も合コン嫌いとアピールしてきたことから考えると、午前中に遥が言った好みの話を聞きつけてきたのではないか。あの講義室にいた誰かが、もしかするとイケメン眼鏡が、彼女たちと繋がっているのかもしれない。
 彼女たちのひとりが遥の隣の椅子を引き、勝手に座ると、体を傾けて彼の腕にほっそりとした手を置く。さりげないつもりかもしれないが、ボディタッチで気を引こうとしていることは丸わかりだ。こんなことくらいで遥のこころは揺れもしないのに。
「ねぇ、今度わたしたち四人で食事でもしない?」
「…………」
 遥は残っていたコーヒーを無言のまま飲み干すと、ぐしゃりと勢いよく紙コップを握りつぶした。その迫力に彼女がびくりと怯んだ隙に、床に置いてあった鞄を掴んで立ち上がる。
「行こう、富田」
「ん、ああ……」
 富田は我にかえると、ぬるくなった残り少ないコーヒーを飲みきり、トートバッグを引っ掴んで席を立った。後ろで彼女たちが「待って」などと騒いでいたが、富田も遥も無視し、近くのゴミ箱に紙コップを捨てて並んで歩き出す。
「澪はどうするんだ?」
「電話する」
 そう答えて、遥がポケットから携帯電話を取り出したそのとき――。
「あ、遥!」
 食堂に澪が入ってきて、屈託のない笑顔で大きく手を振りながら駆けてきた。艶のあるポニーテールがさらりとはずんでいる。大学に入ってからもほとんど化粧をしていないし、カジュアルな格好をしていることが多いが、遥に群がる完璧メイクの女子よりよほどきれいである。そう思うのは決して富田のひいき目ではないはずだ。
「ずいぶん早かったね」
 遥は携帯電話をポケットに戻しながら言う。
「実験が早く終わったから」
「食堂は走ったらダメだよ」
「うん、ごめん」
 澪は苦笑して肩をすくめると、今度は富田に笑顔を見せる。
「富田も一緒だったんだ」
「ああ……まあな……」
 背後の彼女たちがすごい目でこちらを見ているのをチラチラ窺いながら、富田は冷や汗をにじませて答える。遥ももちろん気付いているだろうが、まったく意に介する様子もなく、というか逆に火に油を注ぐように、澪にピタリと体を寄せながら腰に手を添える。
「澪、場所変えよう」
「うん……?」
 聞いたこともないような甘い声で促す遥に、澪は怪訝に返事をする。
 富田には遥の意図がすぐにわかった。澪のことを恋人だと勘違いさせるつもりなのだと。しかし、それであきらめてくれる保証はどこにもない。逆に闘争心を刺激してしまうのではないか。そう心配してオロオロしていると――。
「あなた、橘くんのなんなの?」
 案の定、彼女たちは戦闘モードで突っかかってきた。遥と話していたときとは別人のようなけわしい顔だ。澪はいきなり向けられた敵意に驚いてきょとんとしていたが、そんな彼女をかばうように遥が口をひらく。
「君には関係ないと思うけど」
「彼女はいないって聞いたわ」
「それいつの情報?」
 遥は冷ややかにそう言い、困惑した面持ちの澪をぐっと腰から抱き寄せる。そして、女子二人組にちらりと挑発するような視線を送ると、見せつけるように澪に口づけを落とす。フリではなく本当に。固まる富田と女子二人組をよそに、いつのまにか注目していた周囲は口笛や歓声ではやしたてた。

「もう二度とあんなことしないでよね」
 逃げるように食堂をあとにして大学からほど遠い喫茶店に移動すると、三人はコーヒーを、澪だけはチョコレートケーキも一緒に頼んだ。すべて遥のおごりである。澪は運ばれてきたケーキを無遠慮に食しながらも、いまだ不機嫌そうに口をとがらせている。
「いくら遥でも、許せることと許せないことがあるんだから」
「別に本当の彼女になれって言ってるわけじゃないよ」
「お芝居ってことくらいわかってるけど、キスはやりすぎ」
 まったく反省してなさそうな遥に、澪はもっともな文句を言い返してケーキを口に運ぶ。
 これに関してはどう考えても遥が悪い。が、それが効果てきめんだったのも事実だ。あのうるさいエセお嬢さまより数段レベルの高い澪だからこそ、そしてあの場で決定的な場面を見せつけたからこそ、黙らせることができたのだろう。ふたりが兄妹だと知っている富田でさえ、お似合いの恋人に見えてしまったくらいだ。すらりとした美男美女で身長差も十五センチととても画になる。そのふたりが注目を集める中で、あいだに割って入るなど並みの人間にはとてもできない。おそらく遥はそこまで計算してあの行動をとったのである。
「兄妹なんだから大目にみてよ」
「遥にキスされたこと自体は別に何とも思わないけど、わたし結婚してるんだもん。あんなふうにみんなに見せつけたりなんかして、不倫してるとか変な噂が流れたらやっぱり困るよ。誠一にも迷惑がかかるかもしれないし」
 まったくそう見えなくて忘れそうになるが、澪は既婚者なのだ。結婚していることを自分から積極的に話すことはないが、特に隠しはしないと言っていた。もっとも今のところ知っている人はそう多くないようだ。ただ、左手薬指に指輪をしているので彼氏がいるとは思われているらしい。
 ん、指輪――?
「あっ、遥も指輪すればいいんじゃないか?」
「指輪だけじゃ説得力が足りないよ」
 名案を思いついたとばかりに富田は興奮ぎみに声を張ったが、隣の遥には軽く受け流されてしまった。そんなことはとっくに考慮していたのだろう。指輪だけで相手の姿が見えないと、橘の名に食いついてくる奴らは防げないかもしれない。かなりしつこいことは富田もこの数週間で実感している。
 澪はフォークを手にしたまま眉をひそめる。
「ねぇ、ちゃんと本当に彼女を作ればいいんじゃないの?」
「好きなひとがいないんだからしょうがないよ」
「もてるんだから、とりあえずその中から誰か選んでみれば?」
「こんなことのために他人を利用するわけにはいかないよ」
「それは……そうだよね……」
 遥に正論を返されるとしゅんとうなだれた。が、次の瞬間にはパッと顔を上げて言葉を継ぐ。
「じゃあ、利用じゃなくて協力してもらえばいいんじゃない?」
「澪以外にいると思う? こんなことに何の下心もなく協力してくれて、僕のことを好きにならなくて、嫉妬で暴言を吐かれても嫌がらせされても平気な子」
 それを聞いて、澪はうーんと唸りながら表情を曇らせた。
「そう言われると、確かに難しいね……」
「男でもない限り無理なんじゃねぇか?」
「……それだっ!」
 投げやりになりかかっていた富田の鼻先に、いきなり澪の人差し指がビシッと突きつけられた。富田はその勢いに圧倒されて上体を引き、何のことだかわからず目をぱちくりさせる。しかし、隣の遥は得心したように表情をゆるめた。
「富田ならいいかもしれないね」
「えっ……俺?!」
 思わず自分を指さしながら、富田は大きく目をみはり裏返った声を上げた。

 冗談じゃない――必死に抵抗したものの、結局は遥と澪に言いくるめられてしまう。
 恋人だと公言せずそう匂わせるだけ、キスもしない、という条件で渋々ながら了承した。いま富田と遥の指にはそれぞれペアリングがはめられている。そして、友人としてはいささか過剰なスキンシップをとるようになった。なぜか遥はこの状況を面白がっているようでノリノリだ。
 それでもまだ合コンに誘う男子も言い寄る女子もいるが、減ってはいるので一定の効果はあったのだと思う。それと引き替えに大事なものをいろいろ失ってしまった気もするが。富田はまだしも、遥は財閥の御曹司としてこれでよかったのだろうか。変な噂が流れて後々面倒なことになりはしないだろうか。
「なあ……俺、本気になりそうだからそろそろやめねぇ?」
 次の講義へ向かうために遥と並んで階段を下りながら、そう言ってみる。
 遥はちらりと横目を流すと、色白のきれいな顔にかすかな笑みを浮かべた。
「別に本気になってもいいけど」
「……後悔しても知らないぞ」
 昔から自分ばかり振りまわされているのがくやしい。そう思いつつも、なんだかんだであまり嫌だとは感じていない。きっとこれからもこいつに翻弄され続けるんだろうな――富田は嘆息し、あきらめたようにこっそりと苦笑した。

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