遠くの光に踵を上げて

擦れ違う告白

 授業が終わり、リックはのんびりと鞄に教科書やノートをしまっていた。のんびりとしているのは、急ぐ理由がないからだ。放課後はいつも、親友のジークを自席で待つことになっているが、たいてい20分くらい待たされているのだ。
「ねぇ、リック」
 クラスメイトのミーシャが親しげに声を掛けてきた。彼女とは一年生のときから同じクラスである。友達といえるほど親しくはないが、クラスメイトとして普通に会話をする間柄だった。
「なに?」
 リックが振り返って尋ねると、彼女は少し恥ずかしそうにもじもじして肩をすくめた。
「ジークってさ、付き合ってる彼女、いる?」
「いないと思うよ」
 リックは素っ気なく答えた。今までも同じ内容の質問を、何度か受けたことがある。すべて別の女子だ。
「じゃあ、私のこと、何か言ってなかった?」
「別に、そんな話は出たことないけど」
 リックは淡々と答えた。
 ミーシャは顔を赤らめながらも、必死に食い下がる。
「あのね、それとなく聞いてくれないかな? 私のことどう思ってるのか、とか」
「うーん、僕は嫌だなぁ」
 リックは机の中のものを出しながら、考え込んでいるような、ゆっくりとした口調で言った。
「どうして?」
「ジークってそういうコソコソしたこと嫌いだし、そんなの引き受けたってバレたら、僕が怒られちゃうよ」
「そっか、そうだよね。ジークってそんな感じだもんね。そういうところがカッコイイんだけど」
 ミーシャはエヘヘと照れ笑いした。
 リックは顔を上げ、にっこりと微笑みかけた。
「ジークのことが好きなら、自分で言った方がいいんじゃない?」
「えっ? どうしてわかるのっ?!」
 彼女は火が出るほどに顔を真っ赤にして、片腕で口元を隠しながら後ずさった。
「……そこまで言ったら誰でもわかると思うよ」
 リックは苦笑しながら言った。彼女は以前からどこか抜けているところがあった。基本的に素直ないい子なのだが、ときどきとんでもなくボケたことを言ってくれる。いわゆる「天然」というやつだ。
「そっか……でも、うん、そうだよね」
 ミーシャは両手をパタパタさせて顔を扇ぎながら、ひとりで納得していた。
「自分で言わなくちゃね。本当、そのとおりだわ。ありがとう! リックに相談してよかった!!」
 笑顔を弾けさせてそう言うと、栗色の髪を揺らしながら、一目散に教室を飛び出していった。

「ジークっ!!」
 ミーシャはジークを目にすると、遠くの廊下から、大きく手を上げて走り寄った。
「あ、何だ?」
 ジークは少し驚いたように目を大きくして足を止めた。学校内において、大声で名前を呼ばれる経験はあまりない。しかも、相手はよく知らない女子である。顔に見覚えはあったが、どこで見たのか思い出せない。もちろん名前など記憶にあるはずもない。
「あの、ちょっとお話があるの!」
 ミーシャは胸元でぎゅっと両手を握りしめて言った。上目遣いでじっと見つめ、返答を待つ。
「あぁ」
 ジークは気のない声を漏らした。今からリックを迎えに行こうと思っていたところだが、多少は待たせても大丈夫だろうと考える。
「少しだけならな」
「えっと、ここではちょっと話せないから……あそことかでどう?」
 ミーシャはきょろきょろとあたりを見渡しながらそう言うと、パッと女子更衣室を指差した。
「おまえ……」
 ジークは白い目を向けた。だが、彼女は真顔そのものだった。冗談なのか、本気なのか、ただの頓珍漢なのか判別がつかない。
「言っとくけど、俺は男だぞ」
「あっ?!」
 ミーシャは廊下中に響き渡るような素っ頓狂な声を上げた。どうやらただの頓珍漢だったらしい。周囲の生徒たちがいっせいに振り返った。
「本当だ、ごめんなさい! えっと、じゃあ……」
「体育館の裏とかでいいか?」
 ジークはたまらなくなって自分から提案した。彼女に任せていたら、またとんでもないことを言い出しそうだと思ったからだ。これ以上、好奇の目にさらされることは避けたかった。すでに周囲からの視線が痛い。
「うん、人がいなければどこでも!」
 ミーシャは無邪気に元気よく答えた。そのことで、また周囲の生徒たちが視線を向ける。彼女には、ジークの心情などまるでわかっていなかった。
「じゃ、行くか」
 ジークはため息をついて階段を降り始めた。

「いいお天気ね」
 渡り廊下から外に出ると、ミーシャは空を見上げ、大きく息を吸い込んだ。新鮮な空気が体に浸み込むようで心地いい。
 だが、ジークは返事もせず、目的地に向かって黙々と歩き続けた。
「で」
 体育館の裏に着くなり、短い一言を発した。一言というか一音だった。ズボンのポケットに手を突っ込み、面倒くさそうに振り返る。
「話って何だよ」
 さっそく本題に入った。体育館の中からは、ボールの跳ねる音やシューズの摩擦音、威勢のいい掛け声などが聞こえてきた。部活中のようだ。ふたりの会話は、中には届かないだろう。
「あ、うん……」
 ミーシャは顔を赤らめてうつむき、下のほうで両手を組み合わせた。親指をもじもじと絡め合うように動かす。決心はつけてきたはずだったが、いざとなると勇気が出ない。しかし、ジークはコソコソしたことが嫌い、というリックの言葉を思い出し、思いきって口を開く。
「私、ジークのことが好きなの!」
「あぁ」
 ジークは気の抜けたような相槌を打った。
「だから、良かったら付き合ってください!!」
 ミーシャは勢いに任せて、一気に言い切った。痛いくらいに強い鼓動で、心臓がはちきれそうだった。胸を押さえながら返答を待つ。
「あー、悪りぃ」
 返ってきた第一声は、まるで緊張感のないものだった。
 ジークは斜め上に視線を流して頭を掻くと、ぶっきらぼうに続ける。
「俺、そういうのはリックで間に合ってるから」
「……へ?」
 ミーシャはきょとんとして、間の抜けた声を漏らした。二度ほど大きく瞬きをする。
 だが、ジークは何の説明もしなかった。
「そういうことだから。じゃあな」
 そう言って一方的に切り上げると、軽く右手を上げ、校舎へ戻っていった。
 ミーシャは何の反応も出来ず、その場に呆然と立ち尽くしていた。小さくなる彼の背中を見つめながら、彼の言葉をゆっくりと頭の中で反芻する。
 リックで間に合ってる……?
 間に合ってる……??
「え……? ええっ?!! それって、どーゆーことよっ?!!」
 ミーシャは体育館の裏で、ひとり頭を押さえながら驚愕した。自分が断られたという事実より、彼の語った内容にショックを受けた。体育館からは、体操着姿の生徒が数人、彼女の叫び声につられて顔を覗かせた。

「リックのバカ!!」
 全速力で教室に戻ってきたミーシャは、遠心力をつけた鞄で、リックの後頭部を力いっぱい殴った。油断していたリックは、一瞬、目の前が真っ白になった。机に突っ伏すように倒れこみ、殴られた後頭部を抑えながら、ゆっくりと顔を上げて彼女を睨む。
「痛いよ! いきなり何するの?!」
「私が玉砕するってわかっててあんなこと言うなんてひどい!!」
 ミーシャは顔を真っ赤にして、ヒステリックな声を上げた。目に涙を溜め、今にも泣き出しそうだった。
 リックはその表情を見て驚いた。そして、少しだけ心が痛んだ。
「そりゃ、上手くいくとは思ってなかったけど……でもそれって僕のせい?」
 ジークがそういうことに興味がないのはわかっていた。だからといって、彼女の告白を阻む権利は自分にはない。それに、たとえ望みはないと忠告したところで、納得はしないだろう。いい結果であれ、悪い結果であれ、本人の口から聞くべきなのだ。
 しかし、彼女の思考は、予想もしない方面に向かっていた。
「ジークにフラれるのを見てほくそ笑んでたんでしょう?! ざまあみろって思ってたんでしょう?!!」
 こんなに意地の悪いことを言われては、いくら温厚なリックでもカチンとくる。
「そんなこと思ってないよ。なんでそうなるわけ?」
 あからさまに怒りを含んだ声で、少しきつめに言い返す。
 だが、彼女は、それ以上の怒りと勢いをもって応酬する。
「自分がちょっと可愛いからっていい気にならないで! バカぁっ!!」
 彼の耳元でつんざくような叫び声を上げると、泣きながら走り去っていった。
 リックは片耳を押さえながら顔をしかめた。鼓膜が破れるかと思った。まだキーンと耳鳴りがしている。
「……いったい何だったの?」
 嵐の後の静けさの中、リックは怪訝に首を傾げた。

「あれ? 今のヤツ……」
 リックの教室へ向かう途中、ジークは泣きながら走っていく女子生徒とすれ違った。顔はよく見えなかったが、体育館裏で話をした相手に似ているように思った。多分、本人だろう。
 ――俺が、泣かせた?
 いや、あのときは泣いてはいなかったはずだ。別の理由かもしれない。たとえ、自分が原因で泣かれたとしても、この場合は仕方のないことだ。過去の反省を踏まえ、こういうことにはきっぱりと対処することにしている。自分にとっても相手にとっても、それが最善だろうと考えていた。
 沈んだ気持ちを払おうと軽く頭を振り、扉が開いたままの教室に足を踏み入れる。
「リック、待たせたな」
 いつものように、笑顔で右手を上げた。
 しかし、リックに笑顔はなかった。片耳を押さえて奇妙な表情をしている。彼にしてはめずらしく、何か、不機嫌そうだ。
「ジーク、さっき女子に告白されたでしょう?」
「なんで知ってんだよ」
 ジークは眉をひそめ、訝しげに尋ね返した。
 だが、リックは彼以上に眉をひそめた。
「どういう断り方したわけ? なんか彼女にものすごい八つ当たりされたんだけど」
「別に、普通だぜ?」
 ジークは腕を組み、体育館裏のことを思い返す。何もおかしなことは言っていない。はっきりと断った。ただそれだけだ。少なくとも、ジーク自身はそう思っていた。
 だが、リックはそれでも疑いの眼差しを向けていた。
「何か気になるなぁ」
「細かいこと気にすんなって」
 ジークはカラリと笑い、机の上に置いてあったリックの鞄を手に取った。
「帰るぞ。俺んち来るだろ?」
「うん」
 リックはようやく笑顔を見せた。椅子から立ち上がると、ジークから鞄を受け取り、並んで教室を出て行った。

 その後、一部で妙な噂がまことしやかに囁かれたが、ふたりがそれを知ることはなかった。