機械仕掛けのカンパネラ

忘れられないひと

「えーと、山田圭吾さま宛てですが、間違いないですか?」
 配達に来た男性の郵便局員にそう確認されて、圭吾は頷き、サインをして白い洋形の封筒を受け取った。しかし心当たりがない。後ろ手で鍵をかけながらその封筒を裏返し、差出人を確かめる。
 同窓会事務局――?
 ドキリとして、その場に立ったまま封を開けた。
 案の定、中に入っていたのは出身高校の同窓会を知らせる案内状だった。それもクラスでなく学年全体で行うものである。卒業して十年の節目に旧交を温めようということらしい。
 圭吾はゆっくりと深く息をつき、まぶたを閉じる。その眼裏に浮かんだのは、お世話になった先生でも友人でも元彼女たちでもなく、誰よりもきれいな顔をした元クラスメイトだった。

 玄関から戻ると、七瀬がスマートフォンを眺めてニヤニヤしていた。
 彼女は五つ年下の会社の後輩であり、恋人でもある。休日なので圭吾が暮らしているマンションに遊びに来ているのだ。最初のころは緊張していたが、いまではもうすっかり我が家にいるかのようにくつろいでいる。
 最近は何かやたらとスマートフォンを眺めていることが多い。別に構わないのだが、そんなに熱心にいったい何を眺めているのかすこし気になり、封筒をしまおうと彼女の後ろを通りかかったついでに画面を盗み見る。
 そこには細身のスーツを身につけた若い男性が表示されていた。パーティ会場のようなところでシャンパングラスを手にしている。隠し撮りなのか被写体はカメラのほうを向いていない。思わず眉をひそめて覗き込むと――。
「やだ、覗かないでよ!」
「これって……え……?」
「浮気じゃないからね」
 圭吾にあらぬ誤解をされていると思ったのだろう。彼女はきまり悪そうに口をとがらせてそう言うと、中途半端に隠しかけていたスマートフォンの画面を、見せつけるようにこちらに向けた。
「会ったこともなくてネットの写真を眺めてるだけ。ただのファンなの。このひと財閥の御曹司なんだけど、すっごくきれいな顔してるし、モデル並みにスタイルいいし、何ていうか王子様って感じで、見てるだけで目の保養になるんだもん……あ、圭吾もかっこいいけどね!」
 とってつけたように言い添えてエヘヘと笑うが、それはどうでもいい。
 圭吾が驚いたのは、さきほど眼裏に浮かんだ人物とそっくりな顔をしていたからだ。だからといって同一人物という確信までは持てなかったが、財閥の御曹司というなら間違いない。
「これ、俺の同級生だ」
「え、うそっ?!」
 彼女は驚きを露わにすると、クッションを蹴り飛ばしながら体ごと向き直り、いまにも押し倒さんばかりの勢いで圭吾に迫る。
「もしかして友達だったり?!」
「いや……親しくはなかったけど」
「卒アル! 卒アル見せて!!」
 これまで一度も興味を示したことがなかったのに、と思わないでもないが、憧れのひとが載っているのなら致し方ないだろう。圭吾だって、同じような状況なら見せてと頼んでしまう気がする。
「ネットとかに上げないなら」
「見るだけって約束する!」
 同僚としても恋人としても彼女のことは信用している。仕方ないな、と圭吾は曖昧に苦笑して小さく溜息をつくと、同窓会の案内を手にしたまま腰を上げた。

「わあ、中学のときはちっちゃかったんだ。かわいい!」
 圭吾が持ってきたのは中学と高校の卒業アルバムだ。
 七瀬はまず中学の卒業アルバムを開き、お目当てのひとの姿を見つけてはしゃいだ声を上げた。ついでのようではあるが、それなりに興味はあるらしく圭吾の姿も探している。
「なんだ、クラスは違ったんだね」
「中一のときだけ同じだったよ」
「へえ、どんな感じのひとだった?」
「クールで近寄りがたかったな」
「あー、ちょっとわかるかも」
 卒業アルバムから目を離すことなくふふっと笑う。ときどき圭吾の姿を見つけて面白がったりしながら、ひととおり最後まで目を通すと、飽きもせず今度は高校の卒業アルバムを開いた。
「あ、高校になるとグッとかっこよくなるね。背もだいぶ伸びてる」
「高三になって一気に伸びたみたいだな」
 高二のときはすこし見下ろすくらいだったが、高三で成長期が来たらしく、卒業するころには圭吾よりも高くなっていた。噂によれば、その時点で百八十センチくらいあったらしい。
「やっぱり相当モテてたよね」
「彼女がいるって話は聞いたことないけど」
「でも告白はされまくってたんじゃない?」
「……さあ、どうだろうな」
 告白はされていたのかもしれないが、そういう話もあまり聞いたことがなかった。彼がいちいち吹聴するような人間ではないからだ。きっと告白した側が誰かに話さないかぎり噂にもならない。
 俺のことも、噂にならなかったしな――。
 あれは告白なんてきれいなものではなかったけれど。記憶をたどると感覚までもが生々しくよみがえってしまい、体の奥が熱くなるのを止められないまま、そっと唇を引きむすんだ。

 圭吾は同窓会の受付をすませてから会場に入り、ウェルカムドリンクを受け取る。
 ホテルの宴会場と書いてあったので広いだろうとは思っていたが、この豪華な雰囲気は予想外だ。シャンデリアが輝くきらびやかな空間に、色とりどりの立食パーティ料理が並んでいるのを見て、思わず唖然とする。
 あたりを見渡していると、元クラスメイトが圭吾を見つけて声をかけてきた。友達だったわけではないが、知り合いに会えたというだけですこしほっとする。元気にしてたか、働いてるのか、何の仕事かなど、お約束のように近況を尋ね合った。
 ザワ……。
 友人を見つけたという彼と別れたちょうどそのとき、ふいに会場の空気が変わった。まわりにつられて何気なく入口のほうへ目を向ける。そこにいたのは、圭吾がいまだに忘れることができずにいる、誰よりもきれいな顔をした元クラスメイトだった。
 遥――。
 彼はすっかり大人の男性になっていた。いかにも上質そうなスーツに身をつつみ、隙のない笑みを浮かべながら、集まった同窓生や教師たちに応対している。高校生のときよりもずっと洗練された印象だ。
「やっぱり橘くんは格が違うわよねぇ」
 すぐ隣から女性の声が聞こえた。
 自分に話しかけられているように感じて振り向くと、光沢のあるネイビーのパーティドレスを着て、ゆるやかに髪をアップにした女性が、ひらひらと手を振りながら笑いかけてきた。
「忘れたなんて言わないわよね?」
「覚えてるよ、佳織」
 派手なアイメイクのせいで最初は誰だかわからなかったが、声で思い出した。高校時代に告白されて二か月だけつきあった元彼女である。
「久しぶりね、圭吾」
「ああ……」
 当時のことが気まずくてつい目が泳いでしまう。
 だが、彼女はおかしそうにくすくすと笑い出した。
「いまさら恨みごとなんか言ったりしないわよ。元サヤを狙ってるわけでもないから安心して。もう結婚してるしね」
 そう言いながら左手を掲げる。
 その薬指にはゴールドの指輪がはまっていた。付けるようになって日が浅いのか、手入れが行き届いているのか、くすみもなく美しい輝きを放っている。結婚のことなど考えもしなかったので驚いたが、言われてみれば不思議はない。
「そうか、そういう年頃なんだよな」
「圭吾はまだなのね」
「ああ。つきあってる子ならいるけど」
「もうとっかえひっかえしてないの?」
「いまの彼女とは一年くらい続いてる」
「へぇ、真剣なんだ」
 意外そうに言われたが仕方がない。実際、中学や高校のころは手当たり次第につきあって、相手への気持ちもないまま体の関係を持ち、一、二か月で捨てていた。佳織もその被害者のひとりだった。
 言い訳でしかないが、あのころは遥のことを忘れたくて自棄になっていたのだ。ただ高二のときに彼に引導を渡されてからは、むなしくなって誰ともつきあわなくなった。七瀬は十年ぶりの彼女というわけだ。
「そういえば橘くんも結婚したって」
「えっ」
 ドクリと心臓が跳ねた。
 振り向くと、ちょうど何か身振りをしている彼の左手が見えた。確かに薬指にはプラチナと思われる指輪がはまっている。結婚指輪なのだろう。
「財閥の跡取りだからな……見合いとか……」
「そういうのじゃないみたいよ。相手はハタチの女子大生で、何かめちゃくちゃ溺愛してるんだって。ふふっ、あのクールな橘くんが意外よねぇ」
 佳織は楽しそうに声をはずませた。
 しかし圭吾にはいまだに彼への気持ちが残っているのだ。気にはなるが、聞きたいような聞きたくないような複雑な心境で、ただ当たり障りのない笑みを浮かべるしかなかった。

 やがて開始時刻になり、当時の学年主任をはじめ何人かが挨拶をした後、幹事の音頭で乾杯して立食パーティが始まった。
 圭吾も卒業以来の再会となった先生や旧友たちと歓談する。元彼女のうち何人かにも声をかけられたが、若干とげのある嫌味を言われたくらいで、本気で恨みごとをぶつけられることはなかった。
 手持ちのシャンパンが空になり、すこし気詰まりになってきたこともあって、そっと輪から抜け出して新しいものを取りに行く。ドリンクコーナーでシャンパンが注がれたグラスを手に取ると――。
「あれ、山田くん?」
「……橘」
 橘といっても遥ではない。双子の妹の澪だ。
 彼女は在学中の高校三年生のときに結婚している。当時はだいぶ騒がれたので同窓生なら誰でも知っているはずだ。まだ左手薬指に指輪がはまっているということは、離婚していないのだろう。
「久しぶりだね」
「ああ、元気か?」
「うん」
 華やかなワインレッドのパーティドレスがよく似合っていて、まぎれもない美人なのだが、笑顔にも声にもあのころと変わらないかわいらしさがある。どこか無邪気で少女めいているのだ。
 中学一年生のとき彼女と同じクラスだった。いつも笑顔で挨拶してくれて、いろいろと気に掛けてくれて、何でも親切に教えてくれる。おまけにとてもかわいい。好きになるのに時間はかからなかった。
 けれども彼女も自分のことが好きだと思い込んだあげく、勝手にキスをして、驚いた彼女に突き飛ばされて腕を骨折するという事件が起きた。翌日、互いに謝罪したものの彼女とはそれきりである。
「あのときは本当に悪かった」
「ああ……うん、私もごめんね」
「蒸し返してすまない」
「ううん」
 いかにひどいことをしたか、当時はまだ本当の意味で理解していなかった。だからあらためて謝りたくなったのだ。自己満足でしかないが、彼女は嫌な顔もせず真摯に受け止めてくれた。
「澪、何やってんのー?」
「いま行く!」
 すこし離れたところから友人に呼びかけられて、澪は笑顔で返事をした。すぐそばのドリンクコーナーからシャンパンを取ると、圭吾に振り向き、にっこりと微笑んで軽く左手を挙げる。
「じゃあね。あ、そこに遥がいるよ」
 そう言い置き、友人たちのところへ戻っていった。
 わざわざ教えてくれたのは、骨折したときに世話になったのを知っているからだ。本来なら挨拶くらいすべきなのだろうが、そのつもりはない。顔を合わせても不快にさせるだけである。
 遥はシャンパングラス片手に当時の学年主任と談笑していた。形のいい薄い唇がなめらかに動いている。そのさまを無意識にじっと見つめていた、そのとき――ふいに彼と目が合った。
 ドクンと鼓動が大きく跳ねてとっさに顔をそらす。もっとも彼は何気なくまわりに目を向けただけで、こちらのことなど意識していないはずだ。過剰反応だなとひっそり苦笑していると。
 えっ――。
 彼がまっすぐこちらに向かってくるのが見えた。その目は気のせいではなく圭吾を捉えている。すうっと血の気が引き、あわててシャンパンを置いて逃げようとするが、その寸前で手首を掴まれた。見かけによらず馬鹿力でビクともしない。
「圭吾」
 清廉な中にかすかな甘さを含んだ声で名前を呼ばれ、ぞくりとした。
 あのころのように呼ばれることは二度とないと思っていた。求めることさえ許されないと思っていた。骨折が完治して以来、圭吾のことなど見向きもしなかったくせに、どうして――。
「なに逃げようとしてるの?」
「いや、別に……」
 あからさまに顔をそむけたまま口ごもっていると、ふいに手首を引かれ、よろけて彼に背中から寄りかかる格好になってしまう。あわてふためいて必死に離れようとするが、彼がそれを許さなかった。
「二回もキスした仲なのに、つれないな」
 耳元でそっと甘やかにささやいて、くすりと笑う。
 一瞬にして内側から火がついたように身体が熱くなった。遥が何を考えているのかわからない。頭が働かない。まるで酸素不足にでもなったみたいにくらくらして、意識を保つだけで精一杯だ。
「こ……ここで、そういう話は……」
「じゃあ、このあと最上階のバーで」
「えっ」
 彼はひらりと身を翻し、戸惑う圭吾を残して風のように颯爽と立ち去った。向こうのほうでまた誰かに呼び止められて話をしている。まるで何事もなかったかのように涼しい顔をして。
 からかっただけか?
 あのときの報復か?
 その場に立ちつくしたまま呆然と彼の横顔を見つめる。そうしていると一向に熱が引かないことに気付き、テーブルに置いたシャンパンを苛立ちまぎれにあおったが、さらに熱くなるだけだった。

「悪い、このあと用があるから」
 圭吾は二次会の誘いを断り、周囲の目を避けつつ最上階のバーへ向かった。
 遥はすでに夜景をのぞむカウンター席にひとりで座っていた。視線をめぐらせてあたりを確認するが、他に同窓生らしき人物は見当たらない。本当に二人で話をするつもりなのだろうか。
「座ってよ」
 いつまでも黙ったまま立ちつくしていると、遥にそう促された。素直にこくりと頷いて隣のスツールに腰を下ろす。
「来てくれないんじゃないかと思ってた」
「俺も、からかわれただけかと……」
 そう言いかけたところで、店員が黒いメニューブックを持ってきた。
 面倒なので遥のフルートグラスを示して同じものをと頼む。何かは聞いていないがおそらくシャンパンだろう。店員が下がると、少なくない緊張を感じながらそろりと遥を一瞥する。
「……なあ、なんで俺を呼び出したんだ?」
「あそこでは話したくなかったんだろう?」
「それは、そうだけど……話なんて……」
 顔を曇らせる圭吾の隣で、遥はきれいな姿勢のままフルートグラスに口をつけた。そしてゆっくりと頬杖をつきながら圭吾に横目を流すと、シャンパンで濡れた唇に挑発的な笑みをのせる。
「僕さぁ、舌を入れられたの圭吾が初めてなんだけど」
 ひっ、と圭吾は息をのんだ。
 きっと断罪するつもりでここに呼んだのだ。理性的に責めるのか、感情的に罵るのか、賠償を求めるのか、あるいは告訴するということも――冷や汗が噴き出すのを感じながら身を縮こまらせる。
「あ……あれは、本当にとんでもないことをしたって反省してる……すまない……いまさらどう償えばいいかわからないけれど、その、どうか寛大な……」
「ふっ」
 話している途中で、遥は耐えきれないとばかりに吹き出すと、くすくすといかにもおかしそうに笑い始めた。どう見ても嘲笑という感じではない。圭吾はわけがわからずに呆然とする。
「ごめん、からかうと面白かったからつい。いまさら責めるつもりはないよ。僕のほうも悪いことをしたし……圭吾を呼んだのは、昔のことを謝りたかったからなんだ」
「えっ?」
 安堵したのも束の間、身に覚えのないことを言われて困惑してしまう。遥に謝ってもらうことなど何かあっただろうか。その疑問に答えるように、彼はどこか遠くを見やりながら語り始める。
「中一のとき、澪を身勝手に傷つけた圭吾のことが許せなくてさ。仕返しのようにキスしたわけだけども、まあそれに関しては悪いと思ってなくて。むしろ僕に謝ってほしいくらいだと思ってて。初めてだったしね」
「それは……申し訳ない……」
 やはり初めてだったのか、とすこし喜んでしまった自分を殴りたい。
 そこまでさせてしまったのは他ならぬ自分なのだ。誤解しているという指摘もまったく聞き入れず、ひとり調子に乗っていた圭吾には、その身をもってわからせるしかなかったのだろう。
「僕は澪を守ろうと必死で。絶対に圭吾を近づけないようにしようと思った。だから澪と席を替わってまで圭吾の世話をしたし、澪じゃなく僕を意識させるように仕向けた。顔がそっくりだしできなくもないかなって」
「わざとだったのか……」
 その声には思った以上に落胆がにじんだ。
 ほとんど独り言だったが、あたりはそこそこ静かなうえ距離も近いので、さすがに何も聞こえなかったということはないだろう。しかし遥は表情ひとつ変えなかった。
「そのうちに圭吾は澪でなく僕しか見なくなった。そうさせておきながら、骨折が完治するなり冷たく拒絶するように離れたのは、澪を傷つけたことに対する報復のつもりだったんだ」
 そう話すと、テーブルの上で静かに両手を組み合わせる。
「だけど、まさか何年も引きずってるだなんて思わなかった。高二のあのとき必死に迫られて驚いた。すこし傷つけるだけのつもりだったのに、結果的に何年も苦しめてしまったんだって、そのとき初めて気付いたよ」
 遠く彼方を見ていた彼の目がわずかに細められた。そのままゆっくりと振り向いて圭吾を見つめる。
「本当に申し訳なかった」
「いや……」
 遥を意識するようになったのも、気を許してくれたと思ったのも、親しくなれたように感じたのも、すべて彼の思惑どおりだったというわけか。そうとは知らず、ひとり浮かれていた自分のみっともなさに泣きたくなる。
 だが、もとはといえば圭吾が澪を傷つけたことが始まりなのだ。そのうえ何が悪いかさえ理解できていなかったのだから、遥がそういう行動に出たのも致し方なかったかもしれない。少なくとも圭吾に非難する資格はない。
「でもさ」
 何も言えないまま硬い表情でうつむいていると、遥がそう切り出した。
「迫られたときは期待を持たせないように冷たく突き放したけど、あの三週間、本当は僕も圭吾と過ごすことが楽しくなりかけていたんだ。でも澪の敵にそんな感情を持ってはいけないって葛藤してた。だから圭吾を傷つける計画も中止はしなかったけど、すこし心苦しかった」
「……本当に?」
 ちらりと目を向けて疑わしげに聞き返すと、彼は淡く微笑んで頷いた。
 その表情があのころに見せてくれたものと重なり、胸が熱くなる。心の片隅から消えなかった彼への執着に、終わらせられなかった歪んだ恋心に、ようやく決着が付けられそうな気がした。

「じゃ、乾杯」
 さきほど頼んだシャンパンが運ばれてくると、二人で乾杯した。遥は少なくなっていた残りを飲み干して同じものを店員に頼む。圭吾は半分ほど一気に飲んでからグラスを置いた。
「そういえば、その……」
「何?」
 自分から切り出しておきながら、やはり不躾ではないかと言いよどんでしまったが、遥にじいっと見つめられると観念するしかない。
「結婚したって聞いたけど」
「ああ、一年ほど前にね」
「ハタチの女子大生と?」
「いまは二十一だよ」
 遥は気を悪くした様子もなく、上着の内ポケットからスマートフォンを取り出し、慣れた手つきで操作すると画面を見せてきた。
 それは結婚式のときに撮ったと思われる画像だった。白いタキシードを着た遥と、ウェディングドレスを着た女性が、晴れやかに笑い合っている。こんな顔もできるのかと圭吾はすこし驚いた。
「溺愛してるって話は本当だったんだな」
「なかなかのじゃじゃ馬だよ。両親が亡くなってうちで面倒を見てた子でさ。基本的には素直で聞き分けがいいんだけど、こうと決めたことには強情で、たまにびっくりするような無茶をするんだ」
 その声からはいとおしさがあふれていた。
 遥の結婚相手なら大和撫子ではないかと思っていたが、写真を見て、話を聞いて、こういう子のほうが合っているのだろうなと納得した。従順なだけの子では彼の心に響かなかった気がする。
 それに子供のころから知っているなら互いに安心だろう。もしかしたら結婚前からすでに家族のような存在だったのかもしれない。いまの物言いや表情から何となくそんな感じがした。
「圭吾は?」
「ん、ああ……結婚はしてないけど、彼女はいる」
 圭吾もスマートフォンを取り出し、七瀬と二人で写っている画像を遥に見せる。他人のことにあまり興味がなさそうなので、軽く流されるだろうなと思っていたのに、意外と真面目に見ていた。
「ちょっと似てるかも」
「えっ?」
 彼は自分のスマートフォンで新たな画像を見せてきた。パーカーにショートパンツというカジュアルな格好をした結婚相手だ。顔はそうでもないが、ショートヘアでいかにも快活そうなところは七瀬と似ているかもしれない。
「雰囲気的にはそうだな。こっちも結構なじゃじゃ馬だし」
「そんな感じだね」
 軽く笑いながらそう応じる遥を見て、ふと七瀬が彼のファンだと言っていたことを思い出した。恋人の部屋にいながら彼の写真ばかり眺めてしまうくらいに――。
「あのさ……」
「ん?」
 遥はこてんと首を傾げた。
 普段は見せないであろうその仕草に、無防備なその表情に、圭吾はドキリとして顔が熱くなるのを自覚した。それでも素知らぬふりをして、手にしていたスマートフォンを軽く掲げる。
「もしよかったら俺と一緒に写真を撮ってくれないか。知らないあいだに彼女がおまえのファンになってて、よく写真を眺めてて……だから、その、おまえと一緒に撮って自慢できたらって……あ、もちろんネットには上げないから」
「いいよ、写真くらい」
 拍子抜けするくらいあっさりと応じてくれた。芸能人でもないのにファンなどと言われたら戸惑いそうなものだが、いたって平然としている。もしかしたら言われ慣れているのかもしれない。
 さっそく撮ろうとカメラアプリを立ち上げたところで、すらりとした手にスマートフォンを奪われた。
「えっ?」
 振り向こうとすると、あたたかい手でグイッと肩を抱き寄せられた。触れそうなほど近くに彼の顔がある。いきなりのことに狼狽しているうちに、カシャカシャと何枚か写真を撮られた。
「これでいい?」
「あ、ああ……」
 返されたスマートフォンを見ると、互いに顔を寄せた二人がきちんと写真におさまっていた。遥はカメラ目線で完璧な微笑を浮かべているが、圭吾は動揺が丸わかりの状態で遥に目を向けている。顔も赤い。
 うわ……。
 若干引いたが、それでも撮り直したいとはすこしも思わなかった。むしろ消したくないと思った。圭吾にとって、これはまぎれもなく今日という日を凝縮した一枚だった。

「ちょ、何これっ!!」
 遥と撮った写真をスマートフォンに表示して七瀬に見せると、彼女は悲鳴のような声を上げて奪い取った。信じられないと言わんばかりの形相でふるふると震え、穴が空きそうなほど凝視している。
「このまえ高校の同窓会があってな」
「そんなの聞いてなかったんだけど」
「言わなかったからな」
 しれっと答える圭吾を、彼女はじとりと恨めしげに横目で睨んだ。
 会わせてほしいとまではさすがに言わないだろうが、写真を撮ってきてくらいなら言いそうな気がして、面倒なので黙っていた。当初は遥に近づく気さえなかったのだ。
「でも親しくないんじゃなかった?」
「ああ、だから頼んで撮ってもらった」
「うわ……」
 親しくもない同級生にツーショット写真を頼むというのは、確かに痛いかもしれない。相手が同性ならなおのこと。圭吾だって同窓会の会場だったら頼む勇気はなかった。
「七瀬のために頑張ったんだぞ」
「えー、本当かなぁ……わたしのためなら遥さまの単独ショットにしてほしかったよ。まあ、自撮り写真なんて初めて見たから嬉しいけどさ、なんでこれ圭吾が恋する乙女みたいな顔してるわけ?」
 あやうく飲みかけの紅茶を吹くところだった。マグカップを置いてうつむき、彼女の怪訝なまなざしから逃れるように、軽くむせたふりをしながら口元を手で覆う。
「……いきなり顔を寄せられてビックリしただけだ」
「まあ、遥さまになら心変わりされても仕方ないかぁ」
「おまえな……」
「冗談、冗談、わかってるって」
 彼女はあははと笑い飛ばすと、画像を表示したままスマートフォンを圭吾に返し、空になったマグカップを持って台所に向かった。鼻歌を歌いながらおかわりの紅茶を淹れようとしている。
 じゃじゃ馬、か――。
 彼女にはつきあう前から振りまわされっぱなしだった。そういう彼女だからこそつきあってみようと思えたのだろう。十年ものあいだ、誰ともつきあう気になれなかったにもかかわらず。
 圭吾はふっと笑い、背後のベッドにゆっくりともたれかかりながら、返してもらったスマートフォンを眺めて目を細めた。

「なあ、七瀬……結婚しようか」

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