ピンクローズ - Pink Rose -

14. 許されない衝動

「やあ、ラウル」
 サイファはいつものように人なつこい笑顔を浮かべると、塀に寄りかかったまま軽く右手を上げた。昼下がりの強い陽射しを浴び、濃青色の制服がよりいっそう鮮やかに見える。当たり前のように佇んでいるが、ここは王宮ではなくレイチェルの家の前である。
「こんなところで何をしている」
「ラウルを待っていたんだよ」
 家庭教師であるラウルがこの時間にここへ来ることは、サイファは当然ながら知っていることだ。だが、これまで医務室に来ることはあっても、王宮の外で待ち伏せされたことはなかった。わざわざ仕事を抜けて来るほどの用件なのだろうか。
 ふと三日前のことが頭をよぎる。
 だが、すぐにその考えを自分で否定する。あのことについては、レイチェルには口止めをしておいた。その理由はわかっていないようだったが、誰にも言わないことについてはとりあえず承諾してくれた。彼女がそう簡単に約束を破るとは思えない。第一、サイファがそのことを知っているとしたら、こんな笑顔でラウルの前に立っていないはずだ。
「レイチェル、良く出来ていただろう?」
 サイファは口もとに薄い笑みを乗せて言う。
 ラウルの眉がピクリと動いた。
 それがテストのことだというのはすぐにわかった。そして――。
「……おまえが教えたのか」
「一週間もあったから余裕だったよ」
 サイファは明るい笑顔を見せる。
「仕事はどうした」
「家庭の事情ということで、早く帰らせてもらったんだ」
 ラグランジェ本家の次期当主が「家庭の事情」と言えば、表立って咎めることなど誰にも出来ないだろう。サイファはそのことをよく理解している。その上で、あえてその言葉を選んでいるのだ。利用できるものは遠慮なく利用するというのが彼の考えである。
「レイチェルがめずらしく真剣に頼んでくるから断れなかったんだよ。まあ、僕としても、レイチェルに頼りにされて嬉しかったんだけどね。それに、家庭教師気分を味わえてなかなか楽しかったよ」
 サイファはくすっと笑うと、少し真面目な顔になった。
「だが、少し気になってな」
「何だ」
「教えてもいない章から出題するなんて、ラウルらしくないからさ」
 サイファは鋭いところをついてきた。
「僕は絶対に出ないって言ったんだけど、レイチェルは絶対に出るって言い張ってね。まあ、勉強するのは悪いことじゃないし、それでレイチェルの気が済むのならと思って教えてあげたんだけど、テストを見せてもらったら本当にそこから出題されていたから驚いたよ」
 ラウルは眉根を寄せた。
「おまえのせいで魔導を教える機会をふいにした」
「どういうことだ?」
 サイファはきょとんとして尋ねる。
 ラウルはテストの目的について説明する。もちろん、レイチェルの提示した条件については触れなかった。もともと後付けの条件であるため、それを言わなくとも話が不自然になることはない。
「それであんなに必死だったわけか……」
 サイファは素直に納得したようだった。腕を組みながら難しい顔で言う。
「魔導は徹底的に嫌がっているからなぁ」
「おまえさえ余計なことをしなければ、上手くいったはずだった」
 ラウルは感情のない目で見下ろした。知らなかったこととはいえ、結果的にサイファが大切な計画を妨害したことになるのだ。そして、レイチェルの無邪気な裏切りを手助けしたことにもなる。それも彼自身に対する裏切りを――。そのことはまだ知らない。いや、今後も知ることはないだろう。
 サイファは眉をひそめて睨み返した。
「あのなぁ、そんな浅はかな手を使うからいけないんじゃないのか? 家庭教師のやることじゃないぞ。ラウルにしてはあまりにも粗末だな。こういうことについては、レイチェルのためにも、正面からきちんと説得するのが筋だと思うけどね」
「説得は何度も試みたが、了解を得られなかった」
 ラウルの胸に苦々しい思いがわだかまる。サイファの主張がまぎれもない正論であることはわかっている。だが、理想どおりにいくものではない。レイチェルを説得できないとなれば、別の方法をとるしかないと考えたのだ。いつまでも先延ばしにするわけにはいかないのである。
「なら、切り札を使うか?」
 サイファは上目遣いでそう言うと、片方の口の端を上げた。
「何だ」
「僕ならレイチェルを説得できる」
 ラウルは僅かに目を細め、冷たい視線を送った。
「たいした自信だな」
「彼女は僕の言うことなら何でも聞くからね」
 サイファは当然のように言う。そのことがラウルの癪に障った。ムッとして言い返す。
「だったら、さっさと説得していれば良かっただろう」
「無理強いをするのは趣味じゃないんだよ。今回はラウルが困っているから特別だね」
 サイファは無邪気なくらいに屈託のない笑顔を見せた。鮮やかな金の髪がさらりと揺れて上品な煌めきを放つ。その言いようのない眩しさに、ラウルは思わず眉根を寄せた。

「あら、サイファ、どうしたの?」
 門を開けて外に出てきたレイチェルは、二人の姿を認めると、驚いたように目をぱちくりさせて声を掛けた。サイファがここにいることもそうだが、ラウルと一緒にいることを不思議に思ったのかもしれない。
 サイファは慌てることなく尋ね返す。
「レイチェルこそどうしたの?」
「ラウルが遅いから心配になって見にきたの」
 ラウルはいつもきっちりと約束の時刻に到着するようにしていた。今日はサイファと話している時間分だけすでに遅れていることになる。
「ごめんね、ちょっとラウルと話したいことがあったんだ」
「何の話?」
「おいで、レイチェル」
 サイファは寄りかかっていた塀から体を離すと、すっと右手を伸ばして彼女を呼んだ。レイチェルは素直に小走りで駆けていく。サイファはその細い腰に両手をまわして彼女を捉えると、まっすぐに蒼の瞳を見つめ、柔らかく微笑んで言う。
「レイチェル、先生の言うことは聞かないとダメだよ」
「聞いているわ」
「魔導をやりたくないって我が侭を言っているだろう?」
「……ええ」
 僅かにレイチェルの表情がこわばった。
「魔導の力を持つ者は、その扱い方を知る必要がある。義務だといってもいい。そして、それは君自身を守ることにも繋がるんだ。難しいことじゃないよ。何も高度な魔導を使いこなせというんじゃない。制御の方法を身につけるだけでいいんだ。僕も、アルフォンスも、アリスも、みんなやってきたことだよ」
「でも、私は……私には……」
「大丈夫だよ。僕の言うことを信じて」
 サイファは慈しむように彼女の頬に触れた。手のひらでそっと包み込む。
 ラウルは仏頂面で腕を組み、その様子を眺めていた。説得の内容は、ラウルがこれまで幾度となく口にしてきたものと変わらない。それでも彼女の心を動かすことは出来なかったのだ。彼女がどれほど頑なに拒絶しているか、サイファは知らないのだろうか。こんなに簡単に説得できれば苦労はしない。そう思った。だが――。
「……わかったわ」
 レイチェルは真摯にサイファを見つめてそう言った。まだ不安そうではあるが、懸命にそれを受け入れようとしているように感じられた。少なくとも、この場を言い逃れるための嘘や出任せではなさそうだ。
「ありがとう」
 サイファは優しく礼を言うと、彼女の頭にそっと手を置いた。彼女は表情を緩めて微笑みを浮かべる。大きいとはいえない手だが、彼女には十分な温もりと安心感を与えているのだろう。
「それじゃあ、先生、あとはよろしく頼むよ」
「……ああ」
 サイファが顔を上げてにっこり微笑むと、ラウルは無表情のまま低い声で返事をした。

「ラウル、どうしたの? 怒っているの?」
「怒ってなどいない」
 小走りでついてくるレイチェルに振り返ることなく、ラウルは突き放すように答えた。大きな足どりで彼女の部屋に入ると、立ったまま腕を組んで溜息をつく。
 怒ってなどいない、ただ、少し面白くなかっただけだ。
 自分も同じように説得したはずなのに、彼女の態度はまるで違う。
 やはり、彼女にとってサイファは特別なのだろうか。
 サイファの言うことであれば何でも聞くのだろうか。
 なぜ、そこまで――。
 納得のいかない気持ちが、心の奥でくすぶり続けている。
 しかし、これで魔導の制御を学ばせることはできるのだ。今はこのことを考えなければならない。大きく呼吸をしてから彼女に振り向く。
「本当に魔導をやるんだな」
「ええ、サイファと約束したから」
 レイチェルはラウルの気持ちを逆撫でするような返事をする。もっとも、彼女にそのつもりがないことは十分に理解している。ラウルの心情など何もわかっていないのだ。
「明日から魔導の訓練を行う。もう少し動きやすい服装を用意しておけ」
「明日から、ね……わかったわ」
 レイチェルの声は硬かった。声だけではなく表情も硬かった。小さな口をきゅっとつぐんで目を伏せると、何もない床の一点をじっと見つめる。気のせいか、今にも泣き出しそうに見えた。
「心配するな、危険なことはしない」
「……嫌いにならないで」
 レイチェルは震える声でぽつりと言う。
 ラウルは怪訝に目を細めた。彼女がなぜそのようなことを言い出したのかわからなかった。苦手なことをやらされる不安や恐怖を抱え、心細くなっているのかもしれない。
「嫌いになどならない」
 正面から彼女に向き直り、落ち着いた声ではっきりと答える。
 レイチェルはうつむいたまま小さく頷いた。それからゆっくりと顔を上げ、ラウルと視線を合わせると、ふっと甘く愛らしい微笑みを見せた。

 翌日、ラウルはいつものようにレイチェルの家に向かった。
 この日から魔導の訓練を始める予定になっていた。彼女のことが心配ではあったが、よほどのことがない限り、予定どおりに行うつもりでいた。いずれはやらなければならないことなのだ。とはいえ、望まないことを無理強いをするのはやはり心苦しい。あまり怯えてなければいいが――そんなことを思いながら、彼女の部屋の扉をノックする。
「こんにちは、ラウル」
 予想に反して、レイチェルは明るかった。屈託のない笑顔でラウルを招き入れる。彼女は思ったより気丈なのかもしれない。きのうの弱音が嘘のように、何もかも完璧にいつもどおりである。だが、服装だけはいつもと違った。
「なに? どうしたの?」
「動きやすい服装ということだな」
 ラウルはじっと見つめながら冷静に確認する。ドレスは普段のものと基本的に同じ形だが、丈だけが短かかった。膝が見えるくらいである。また、特徴的な後頭部の大きなリボンは付けられていない。
「これでいいかしら?」
「まあいいだろう」
 それほど動きやすい服装ではないが、それでも普段の歩きにくそうなドレスと比べると、格段に活動的であるといえる。そこまで激しい運動をするわけではない。これで十分である。実際のところ、当面は普段のドレスでも問題がないくらいだ。
 服装そのものはともかく、その準備をしてきたという事実が、ラウルを少し安心させた。彼女は訓練を受け入れる心構えが出来ている。これならば互いに嫌な思いをせずに進められそうだと思ったのだ。

「地下室へ行くの?」
「そうだ」
 ラウルは地下への階段を降りながら答える。
 レイチェルの言う「地下室」とは、地下にある魔導の訓練場のことだ。普通は個人が持つようなものではないが、魔導の名門であるラグランジェ家に限っては、本家も分家もみな持っているらしい。それだけ魔導を重要視している証といえるだろう。もちろん、それを作るだけの財力があるという証でもある。
 地下の訓練場を使わせてもらうことについては、すでにアルフォンスの許可を得ている。そのときに鍵も渡してもらった。レイチェルが魔導を学ぶ決心をしたことを、彼は素直に喜んでいた。気は早いが安堵している様子もあった。やはりずっと心配をしていたのだろう。
 細くて暗い階段を降りきると、そこに重厚な扉があった。かなり古びているようだ。預かった鍵で解錠し、その扉を押し開いた。
 ギギギ……と錆び付いたような音があたりに反響する。
 部屋の中はさほど広くなく、また、殺風景なほどに何もなかった。あるのは蛍光灯と換気扇くらいで、ほとんど無味乾燥な壁に囲まれているだけの部屋といえるだろう。だが、その壁が重要なのだ。魔導耐性に優れた物質で作られているのである。もちろん、それだけでは軽い魔導力にしか耐えられないため、通常はさらに結界を張って使用することになっている。
 ラウルは壁に沿って強力な結界を張った。これを力ずくで破れる人間はほとんどいないはずだ。今のレイチェルにはここまでの必要はないだろうが、彼女の奥底には未知の強大な力が眠っている。それに備えてのことだった。
「この地下室、かび臭くて息が詰まりそう」
「換気はしてある。我慢しろ」
 レイチェルは眉をひそめながら部屋の中を見まわした。魔導の訓練を避けてきた彼女のことだ。自分の家ではあるが、ここに来たことはあまりないのかもしれない。
 ラウルは壁を叩いて言う。
「ここに向かって打て。何でもいい。力一杯だ」
「わかったわ」
 レイチェルは素直に答えると、両手を合わせて呪文を唱え始める。ごく初歩的なものだ。彼女が知っている数少ない呪文のひとつなのだろう。両の手のひらの間に白い光が生じる。頭くらいの大きさになると、それをラウルが示した壁に向かって放った。白い光球は勢いよく突き進む。そして、結界を張った壁に衝突し、シュワッと軽い音を立てて消滅した。
「……力一杯と言ったはずだ」
「力一杯、打ったつもりよ」
 彼女の表面的な魔導力はそう強い方ではない。だが、それと比較しても、彼女が放った魔導はあまりに貧弱だった。これで力一杯とは考えられない、もっと強いものが放てるはずだ――反射的にそう思った。
 しかし、嘘を言っているようには見えない。
 今の彼女にとっては、もしかすると、本当にこれが精一杯なのかもしれない。そうだとすれば、想像以上にやっかいである。自分の中で魔導力を集中させるというのは、呪文以前の極めて基本的なことである。それすら、彼女はまともに出来ていないことになるのだ。
「もう一度やってみろ。今度はゆっくりとだ」
「ゆっくり?」
「時間を掛けて呪文を唱えろということだ」
「わかったわ」
 レイチェルは言われるまま、緩やかな口調で呪文を唱え始めた。
 ラウルは彼女の中の魔導を探り、その流れを見極めようとする。しかし、そのとき、ふと何かが意識の隅を掠めた。その正体はすぐにわかった。彼女の奥底に眠っている強大な魔導力である。普段は誰にも気づかれないくらい密やかに潜んでいるが、魔導を使っている間だけは僅かに開いているように感じられた。
 もしかすると、引き出せるかもしれない――。
 衝動的な思考が頭をよぎる。
 ラウルは正面から彼女の肩に右手を置いた。指先に少しだけ力を込める。
「えっ……?」
「続けろ」
 レイチェルは驚いて呪文を止めたが、ラウルの言葉に従い、再び緩やかに呪文の詠唱を始めた。
 ラウルは自分の魔導力を凝縮し、彼女に触れた部分から、それを注ぎ込んでいく。
 彼女の奥をこじ開けるように、眠った力を呼び覚ますように――。
 それは、魔導の封印を解く方法のひとつだった。正攻法ではないが、これで解けることもある。ただ、彼女の場合は封印とも違うので、この方法が有効かどうかはわからない。それでも、試す価値はあると思った。
「あっ、なに……っ」
 レイチェルは体内の反応にとまどいの声を上げる。体がびくりと揺れた。
「……はっ……はぁ、は……ぁっ……」
 次第に息が荒くなっていく。顔も体も熱を帯びて紅潮していた。
「……んっ、あぁ……あ……っ」
 必死に何かを堪えるように、苦しそうに眉根を寄せて目をつむる。
「ラウル……っ、あつい、体が……体の中が……」
「大丈夫だ。もうしばらく耐えろ」
 ラウルは冷静に彼女を観察しながら言う。眠っている力を呼び覚ますために注ぎ込んだ力は、活動中の魔導力にも影響を与える。必要以上に活性化させてしまうのだ。彼女には刺激が強すぎるのかもしれない。
「ラウル……お願い……もう、ダメ……っ」
 これが限界か――。
 ラウルは力を注ぐのをやめた。そっと手を離す。だが、レイチェルがふらりと揺れるのを見ると、慌ててその小さな体を両手で支えた。そして、軽く肩を抱いて自分の体に寄りかからせる。
「はっ……はぁっ……」
 彼女は苦しそうに大きく全身で息をしていた。顔が火照り、汗が滲んでいる。だいぶ無理をさせてしまったのかもしれない。それでも、結局、彼女の中の魔導に変化は見られなかった。彼女の奥底に眠る力を引き出すことは出来なかったのだ。そう簡単にはいかないということだろう。
「すまなかった」
 ラウルは彼女の頬に張りついた髪を払いながら詫びた。レイチェルはゆっくりと顔を上げ、潤んだ瞳でラウルを見つめる。小さな薄紅色の唇が微かに動いた。そのとき――。
「あぁっ……!」
 レイチェルの体が大きくビクリと脈打った。体中が青白い光に包まれる。無防備だったラウルは、その光に弾き飛ばされ、背後の壁に叩きつけられた。支えを失った彼女は床に崩れ落ちる。苦しげに顔を歪ませながら、床の上で背中を丸めた。
「う……うぅ……」
「レイチェル!」
 ラウルは立ち上がりながら叫んだ。
 彼女の中で大きな力が暴れ出していた。それは、制御を失った魔導として放出される。
 つまり、暴発だ。
 髪は大きく舞い上がり、服は音もなく裂けていく。体中から強い光が四方八方に散り、結界を破って壁にいくつもの穴を開けた。それでも、彼女の魔導力は収まるどころか、ますます高まっていく。
 ――まずい。
 ラウルは急いで呪文を唱えた。瞬間、部屋の中の空気が変わる。
 彼女を覆っていた青白い光が消滅した。
 この部屋を覆っていた結界も消滅した。
 ラウルが唱えた呪文は、特定空間の魔導を使えなくするものだった。ある程度、閉じられた空間でなければ効果はないが、魔導の訓練場はたいていそういう造りになっている。ここも例外ではない。
「レイチェル!!」
 ラウルは倒れたままの彼女に駆け寄った。彼女の服は辛うじて断片が残っているだけで、もはやその役割を果たしていない。だが、ざっと見た限りでは、体の方に怪我はないようだ。自分の上衣を脱いで彼女に掛けると、壊れ物を扱うようにそっと抱き起こした。
 レイチェルは言葉もなく、ただ青白い顔で震えていた。ラウルの袖をきつく掴み、縋りつく。
 彼女の中で暴れていた魔導の力は、すでに落ち着きを取り戻していた。どうやら再び眠りについたらしい。目覚めたのは一時的なものだったようだ。今後、この影響がどう出るのかはわからないが、当面の危機は去ったといえる。
 ラウルは激しい後悔に苛まれていた。
 自分はなぜ彼女の力を目覚めさせようとしたのだろうか。それより先にすべきことがあった。ただでさえ魔導の扱い方がわかっていない彼女に、この強大な力を受け止められるはずはないのだ。少し考えれば誰にでもわかることである。
 おそらく、魔が差したのだ。
 下手に手を出せば暴発する――それは、自分が言ったことである。安易に触れるべきでないということは、誰よりも理解していたつもりだった。
 だが、誰にも曝されたことのない彼女の奥底を近くに感じたとき、歯止めとなるものすべてを忘れてしまった。触れられるかもしれないという誘惑には勝てなかった。触れたいという衝動を止めることができなかった。そして、何より、他の誰でもない自分が目覚めさせたいと思ったのだ。
 自分はどうしようもなく愚かだ――。
 今度こそ彼女は魔導を完全に拒絶するようになるかもしれない。そうなったとしても、ラウルには咎める資格はない。説得することも無理だろう。自分に出来ることは何かあるのだろうか。
 ラウルは奥歯を噛みしめ、彼女の体を抱える手に力を込めた。