遠くの光に踵を上げて

29. 3人目の招待客

「誕生パーティ? おまえの?」
 ジークが素っ頓狂な声をあげた。
「他に誰がいるっていうの」
 アンジェリカは彼の反応に少しむっとし、冷めた声で言い返した。
「なんでおまえ、そんなガキくさいことやるんだよ」
 ジークはさらに彼女の神経を逆なでする言葉を口にし、面倒と言わんばかりに後頭部を掻いた。
 ――アンジェリカはまだ子供なのに。
 リックはそう思ったが、口には出さなかった。ただ、彼女の実年齢をすっかり忘れているジークがおかしくて、こっそりと笑った。
「別に嫌だったらいいのよ。無理に来てほしいなんて、言ってないんだから……」
 アンジェリカはうつむくと、不機嫌な声で口ごもった。彼女の耳は、ほんのり赤く染まっていた。
「嫌っていうか……」
 今度はジークが口ごもった。
「なに?」
 アンジェリカはジークを見上げ、短く問い詰めるように言った。彼は眉をひそめ、困り顔で少し首をかしげた。
「俺、そういうの行ったことねぇんだよ。どうすりゃいいのかってのがな……」
 思いがけないジークの情けない発言に、アンジェリカは気が抜けた。少し呆れて息を吐くと、冷めた目で再び彼を見上げた。
「別にどうもしなくていいわよ。来るだけで」
 ジークはアンジェリカの視線から逃げるように顔をそらし、何か言いたげな顔をしていた。しかし上手く言葉にすることができずにそのまま押し黙った。
「ジーク、心配しなくても僕がついてるからさ」
 リックに笑いながらそう言われて、ジークは急に自分が情けなく思えた。
「別におまえについててもらわなくても大丈夫だ」
 意識して声を大きくし、今さらながら虚勢を張って見せた。リックはそんなジークににっこりと笑いかけた。そして、今度はその向こう側のアンジェリカを覗き込んだ。
「僕たちの他には誰を呼んでるの?」 
「あなたたちだけ……あっ、もうひとりいたわ」
 その言葉につられて、ジークもアンジェリカに顔を向けた。
「誰?」
 リックの質問に、アンジェリカは何か含み笑いのようなものを返した。
「ふたりのよく知っている人よ」
 はっきりと答えないうえに、意味ありげな笑顔。ジークはからかわれているような気がして苛立ちを感じた。
「だから誰なんだよ!」
 ジークは語気を荒げた。しかし、アンジェリカは動じることもなく、ただにこにこと笑っていた。
「そのうちわかるわ」
 彼女は楽しそうにそう言うと、「じゃあね」と右手を上げ、ふたりを残し小走りで家へと帰っていった。

 ふたりは無言で彼女の背中を見送った。
「誰だと思う?」
 彼女の姿が小さくなったところで、リックがぽつりとつぶやいた。ジークは腕を組み、小さくうなった。
「まさか……セリカ、ってことはないよな」
 リックも腕を組み、首をかしげて考え込んだ。
「アンジェリカの表情からすると、ラウルって可能性の方が高いんじゃないかな」
 ジークは眉根を寄せ、あからさまに嫌悪の表情を見せた。
「ヤツか……。確かにな。なんか気が重くなってきた」
「アンジェリカが名前を言わなかったのも納得がいくしね」
「どういうことだ?」
「ほら、ラウルが行くって聞いたら、ジークは行かないとか言い出しかねないよね」
 ジークはため息をつき、重い足取りで踵を返すと、ゆっくり家へと歩き始めた。リックもその歩調に合わせて並んで歩いた。
「ラウルって、そんなに悪い人じゃないと思うけど」
 いつも思っていたことが、ふいに口をついて出た。言った後で、またジークの機嫌を損ねたかなと少し後悔した。
 案の定、ジークの機嫌はますます悪くなった。
「悪いとは言ってねーよ。ただ気にくわねぇだけだ」
 むすっとした表情でそう吐き捨てた。リックはなぜ気に入らないのかという理由が聞きたかったのだが、これ以上追求するのはやめておいた。

「お帰り! ジーク!」
「なんだ、その格好……」
 家の扉を開けた瞬間、ジークは絶句した。
 ラフなパンツ姿しか見せたことのない母親が、突然ワインレッドのベロア調ワンピースで出迎えたのである。彼が言葉を失うのも無理はなかった。
「うっふっふ。私もまだまだイケるでしょ。もう二十年くらい前のなんだけどね。あのころは私も着飾ったりしていたものよ。あの唐変木を振り向かせるのは大変だったんだから」
 彼女は防虫剤の匂いを振りまきながら、回転してスカートをひらめかせた。
「だから、なんでその二十年前の服を、いま着てるんだよ」
 ジークはだんだんいらつき始めていた。今日はアンジェリカといい、母親といい、わけがわからないことだらけだった。
「今度これを着て行こうかと思ってね。引っ張り出してきて試しに着てみたのよ」
 レイラは全身を鏡に映して嬉しそうに声を弾ませた。
「そんなもの着てどこに行くんだ?」
 ジークはますます苛立ちが募っていった。話が一向に見えてこない。
 突然、レイラは顔を突き出し、ジークを下から覗き込んだ。そして意味ありげにニヤリと笑った。ジークは少し身をのけぞらせた。
「あんたも呼ばれてるでしょ? アンジェリカちゃんの誕生日」
「……ちょっと待て」
 ジークは一気に頭に血が上っていくのを感じた。
「なんでおまえが行くんだ? そもそもなんで知ってんだ……?」
「私もお呼ばれしてるからに決まってんでしょ」
 ジークの重い声での質問に、レイラは極めて軽い調子で返した。
 ジークは苛立ちは爆発した。
「なんでだよ! ほとんど面識もないくせに呼ばれるわけねーだろ!」
 レイラはそんなジークのわめき声を軽く聞き流した。そして、さらに信じがたいことを口にした。
「実はあんたに内緒で行ってきたのよねー、アンジェリカちゃんのお見舞い。そこであちらのご両親と仲良くなっちゃって」
 そう言うと嬉しそうにVサインをジークに突きつけた。
「なっ……嘘つけ! そんな話、俺、聞いてねぇぞ」
 ジークは顔を真っ赤にしながら、必死で反論した。信じられないというよりは信じたくないという気持ちがそうさせていた。
「そりゃそうでしょ。黙ってたし。彼女にも口止めしといたからね」
 ジークは一気に脱力した。レイラならそのくらいの行動力はある。内緒にしておいてあとで驚かせようという子供じみたことも、いかにも彼女のやりそうなことだ。もうここまでくるとジークは信じざるを得なかった。
「楽しみよね、ジーク!」
 無邪気にはしゃぐレイラを残し、ジークはよろよろと二階へ上がっていった。

 レイラは行動が読めない。何をしでかすかわからない。わけのわからないことを口走りかねない。自分の過去を誰よりも知っている人間であるから怖い。サイファ、レイチェルと何を話していたのか、アンジェリカに何か妙なことを言ってないだろうか。考えれば考えるほど不安に押しつぶされそうになる。
 そして、今度は一緒に行くことになるのである。自分の知らないところで勝手にあることないこと言われるのも嫌だが、目の前でむちゃくちゃな言動をされたり自分のことをからかわれたりするのはもっと困る。

 三人目の招待客はラウルのほうがはるかにましだった。今さらながらジークはそう思った。