機械仕掛けのカンパネラ

ひとつ屋根の下 - 第12話 墓参り

「お墓参り?」
 冬休みが終わってまもない金曜日の夜。
 遥は自分の部屋に七海を呼び、紅茶を飲みながら学校の話を一通り聞いたあと、明日お父さんのお墓参りに行こうと切り出した。彼女はティーカップを持ったまま不思議そうな顔になる。
「別にいいけど……命日でもお彼岸でもお盆でもないのに、なんで?」
「お父さんに報告することがあるからね。七海もあるんじゃないの?」
「ああ……うん……」
 遥の言わんとすることを理解したのだろう。七海は曖昧に頷いてティーカップをそっと戻した。あまり気が進まないように見えるのは、まだ武蔵のことをあきらめていないからかもしれない。
「無理強いはしないけど」
「ううん、行くよ」
 彼女は気を取り直したように笑顔になった。
 いまのように武蔵に思いを馳せているのが見え隠れするとき、胸が痛まないといえば嘘になる。それでもいちいち落ち込んでなどいられない。武蔵のことが過去になるよう努力するしかないのだから。

 翌日、七海の部屋をノックすると、待ち構えていたかのように扉が開いた。
 彼女はざっくりとしたセーターに、デニムのショートパンツ、黒のオーバーニーソックスという、普段と変わらないカジュアルな格好をしている。小脇に抱えているのはダッフルコートだろう。
 執事の櫻井に見送られながら二人で玄関を出た。ときどき強く吹きつける風は冷たいものの、水色の空は穏やかに晴れわたっており、墓参りには悪くない天候だ。のんびりとした足取りで車庫に向かう。
「あれ、こんな車あったっけ?」
 シャッターが開くと、七海はそこにあった赤いスポーツセダンを目にして声を上げた。ぐるりとまわってあちらこちらから眺めたり、窓越しに運転席や助手席を覗き込んだり、興味津々の様子である。
「気に入った?」
「うん、何かかっこいいね」
 橘が所有している乗用車はどれも乗り心地重視である。すくなくとも若者受けするデザインとはいえない。色もほとんどが黒か白という地味なものだ。それゆえ赤というだけでもかなり新鮮に映るのだろう。
「これどうしたの?」
「僕が買ったんだ」
「へぇ」
 きのう納車されたばかりの新車である。七海と二人で出かけたいがために買ったようなものだ。橘所有の車はいつでも運転手付きで出してもらえるが、遥が運転することは許されていない。
「乗って」
 そう言いながら助手席側の扉を開いて促すと、七海はきょとんとした。いつもは二人で後部座席に座っているからだろう。白い手袋をした運転手がいないということには、おそらくまだ気付いていない。
「助手席に座るの?」
「そう、僕は運転席」
 それでようやく理解したようだが、にわかには信じられなかったのか、大きな目をぱちくりとさせて疑問を口にする。
「遥、運転できたの?」
「免許は持ってるよ」
「えー……なんか怖い」
 七海は疑わしげな顔になる。
 遥に運転しているイメージがないからだろう。実際、免許を取ってから一度も運転していないのだ。しかし遥自身はそれほど不安を感じていない。
「教習所では上手いって言われたけどね」
「ほんとかなぁ」
「ちゃんと安全運転するからさ」
 開いた扉に手をかけたまま微笑を浮かべてそう言うと、七海は胡乱なまなざしを送りながらも助手席に乗り込んだ。遥はその扉を閉め、反対側から運転席に乗り込んでエンジンをかけた。

 途中で花を買い、七海の亡くなった父親が埋葬されている墓地に向かう。遥もこれまで何度か来ているので場所はわかっている。墓地からほど近い駐車場に車を入れるとエンジンを止めた。
「運転どうだった?」
「まあまあかな」
「それならよかった」
 久しぶりの運転だが特に危ういところはなかったはずだ。七海もすっかり安心したようで無邪気な顔を見せている。この様子なら、これからも遥の運転する車に乗ってくれるだろう。
 花と線香は七海に持たせ、遥は途中で手桶と掃除用具を借りて水を汲んだ。たくさんの墓石が整然と並んだそのあいだの通路を、目的地に向かって歩いていく。
「あれ?」
 七海がふいに声を上げた。
 視線のさきにある父親の墓には、彩り鮮やかな花が供えられ、線香の煙が立ち上っていた。誰かが墓参りに来たのだろう。彼には七海以外に家族も親戚もいないのだから、思い当たる人物はひとりしかいない。
「拓海かな」
「だろうね」
 真壁拓海――彼女の父親である坂崎俊輔の親友であり、同僚であり、そして刺殺した男だ。この墓を建てたのも彼である。かつては命日に七海と墓参りをしていたそうだが、いまも贖罪の気持ちは忘れていないらしい。
 しかしながらこれまで一度も鉢合わせることはなかったし、痕跡もなかった。彼自身が悟られたくないのか、七海に配慮してかはわからないが、命日、盆、彼岸の時期は避けているのだろう。
 それなのに偶然にも同じ日に来てしまうとは。七海には彼の痕跡すら見せたくなかったが、鉢合わせるよりはよかった。七海が望まないかぎり二度と会わせないと決めている。そのためにはこちらも気をつけなければならない。
「お花、どうしようか?」
「七海が捨てたいなら捨てるけど」
「まだ萎れてないしもったいないよ」
「じゃ、窮屈だけど一緒に供えよう」
 遥としては拓海の供えたものなど捨ててしまいたかったが、七海がそう言うのであれば従うしかない。決める権利があるのは彼女だけだ。この墓石に名前を刻まれた人物の遺族であり、本人でもあるのだから。
 七海 享年六才――遥はちらりと墓石の横側に目を向けて眉を寄せる。彼女の名前までもが刻まれているのは、父親と一緒に死んだことにされていたからだ。もちろん拓海の仕業である。
 遥は消したかったが、七海がそのままにしておきたいと譲らなかった。これも生きた証だと思っているのだろう。さすがに本人の意向を無視するわけにはいかず、仕方なく残してあるのだ。
「お花を供えるまえに掃除だね」
「その必要はないよ」
 墓は隅々まですっかりきれいに掃除されていた。墓石の上からひしゃくで水をかけたあと、持ってきた花を供える。すでに花が供えてある花立に無理に押し込めたため、不格好になったが致し方ない。
 線香はそれぞれ一本ずつマッチで火をつけて立てる。だいぶ短くなった線香の煙と、新たな二本の煙がゆらりと絡み合うように上がるのを見て、遥と七海は静かに両手を合わせて目を閉じた。
 遥は死後の世界や霊魂など信じていない。
 それでもここに来ることはけじめとして必要だと考えた。七海を必ず幸せにすると、大切にすると、父親の墓前で誓うこと自体に意味がある。その決意を強固なものにするためにも。
 隣を見ると、彼女はまだ目をつむったまま両手を合わせていた。やがて目を開き、凛としたまなざしで正面の墓を見つめつつ、合わせていた手をゆっくりと下ろしていく。肩まで伸びた黒髪がさらりと冷たい風に揺れた。
「もういい?」
「うん」
 七海はにっこりとして答えた。
 墓前で何を思ったのかは互いに尋ねようとしない。遥が秘密にしておきたいと考えているように、七海も踏み込まれたくないと感じているのだろう。それは決して悪いことではないはずだ。
 二人とも無言のまま、乾燥した風に吹かれながら人影のない墓地を歩いて戻る。いつのまにか薄曇りになり、そのせいかいっそう風が冷たくなったように感じる。七海の吐く息がほんのりと白い。
「七海、寒くない?」
「ちょっとね」
「どこか寄ってく?」
「今日は帰りたいな」
「わかった」
 ほんのりと感傷的な様子を見せる七海に、そっと微笑みかける。
 彼女はひとりになりたい気分なのかもしれないが、遥にそのつもりはない。家に帰ったらあたたかい紅茶を飲んで抱きしめよう。父親のことも、拓海のことも、武蔵のことも、何も考えられなくなるまで――。