機械仕掛けのカンパネラ

第23話 訣別

 うららかな春の陽気の中、散り始めた桜の花びらが吹雪のように舞う。

 七海はふくらんだスカートをあわてて手と学生鞄で押さえた。
 セーラー服はどうにも風通しが良すぎて心許ない。普段はショートパンツで外出しているので、脚を露出することには慣れているものの、下着が守られていないようで不安に感じる。いっそスカートの下にショートパンツをはこうかと思ったが、遥に止められた。

 橘の屋敷に移って三か月とすこし。
 今日は七海が通うことになった私立中学校の入学式だった。もう学校へ行きたくないなどと駄々をこねたりはしていない。式と写真撮影を終えて、保護者の代理として来ていた遥と帰るところである。
 屋敷での生活は、特に嫌なこともなくそれなりに快適だ。
 橘の家族や親類の他によくわからない居候もいるが、屋敷が広いうえ、みんな好き勝手に生活しているのでそんなに会うこともない。頻繁に顔を合わすのは使用人と遥とメルローズくらいである。
 最初は使用人なんて冷たくて落ち着かなくて嫌だと思っていたが、屋敷で暮らすようになってすぐにそういう感情はなくなった。みんな七海に良くしてくれるのだ。特に、執事の櫻井はまるで家族のように目をかけてくれている。
 ただ、遥の祖父である橘財閥会長とは数えるほどしか会っていない。彼が七海の里親ということになっているらしいが、実質的には遥や櫻井、そして会長秘書の楠という男性に任せているようだ。

「あしたから七海ひとりだけど、通えそう?」
「バカにしてんのか。道なんかもう覚えたし」
「それならよかった」
 桜並木の下を並んで歩きながら、遥は軽く笑った。
 中学校までは電車と徒歩で通うのだが、電車は乗り換えがないのでさほど難しくないし、駅からの道筋も簡単なので迷うことはないだろう。定期券も購入済みなので何の心配もない。
「今日だって僕ひとりで平気だったのに」
「ここの入学式は親子で行くものらしいよ」
「親じゃないじゃん。すっごい浮いてたし」
 そう言いながら、先ほどまでの騒動を思い出して口をとがらせる。
 他の保護者と変わらない地味なスーツ姿のはずだが、保護者にしては若すぎるうえに容姿だけは無駄にいいので、保護者席に座っているだけでひときわ目立っていた。女子たちが誰のお父さんなのかときゃあきゃあ騒ぐ始末だ。
 七海はその様子を横目で見ながら素知らぬふりを決め込んでいた。なのに、遥が声を掛けてきたせいで自分の保護者だとばれてしまった。空気読め、と恨めしげに睨みつけるものの後の祭りである。
 お父さん若いね、などと言われて釈明せざるを得ない状況に追いやられた。親ではなく知り合いだと答えると関係を追及され、一緒に住んでいると答えるとさらに詮索され、曖昧にごまかすしかなくなった。
 あしたも何か言われるかもしれないと思うと気が重い。どうしてこんなことになったのだろう。すべて遥のせいだとまで言うつもりはないけれど、元凶には違いない。彼が来なければこんなことにはならなかったのだから。
「大学生なんだから大学に行けよな」
「七海の晴れ姿を見るためなら休むよ」
「……落第しても知らないぞ」
 微妙な面持ちで捨て台詞を吐き、口をとがらせると、隣で小さく笑う気配がした。
「じゃ、そうならないように協力してくれる?」
「協力?」
「なるべく問題を起こさないでねってこと。学校に呼びつけられると、そのたびに講義を休まなきゃいけなくなるからさ。あんまり頻繁だと、七海の言うように進級できなくなるかもしれない」
 遥の話からすると、学校で問題を起こすと保護者が呼びつけられるらしい。七海としても彼の負担にならないようにしたいし、そもそも問題なんて起こしたくないが――。
「あのさ……今日、さっそく怒られたんだけど……」
 おずおずと窺うような視線を向けてそう告げると、遥はすこし驚いたように振り向いた。それでもいつもの冷静さはなくしていないようだ。
「どうして?」
「自分のことを僕って言ってたらさ、女の子なんだから僕はやめなさい、私と言いなさいってお説教されたんだ。でも、昔からずっと僕だしすぐに変えるのは難しくて……なんか変な感じだし……」
 遥のためには、素直に先生の言うとおりにすべきなのだろう。けれど――言葉に詰まりうつむくと、彼は真面目な顔でなるほどねと相槌を打った。
「普段はそれでいいんじゃない?」
「え、いいの?」
「普段は僕、かしこまった場では私、と使い分けられるようになればいい。僕もそうしてるし。最初は難しいだろうけどすこしずつね。先生にはあとで僕から話しておくよ」
 七海はほっとして頷いた。
 かしこまった場というのがよくわからないし、きちんと使い分けられるか自信はないが、すこしずつということなら焦らなくてもいいのだろう。とりあえず、先生と話すときだけでも私と言うようにしようと思う。
「あ、ごめんちょっと待って」
 遥は足を止めると、上着の内ポケットから震える携帯電話を取り出し、歩道の脇に寄りながら通話を始める。
「はい……うん……そう……わかった。あとで折り返す……じゃあ」
 七海は彼の隣に立ち、薄紅色の花びらが舞い落ちるのを眺めつつ待っていたが、一方的に報告を聞いただけのようですぐに通話は終わった。しかしながら彼は携帯電話をしまおうとせず、手に持ったまま振り向く。
「七海、真壁拓海に会いたい?」
「えっ?」
 七海は目をぱちくりさせて聞き返した。あまりにも予想外の名前を耳にしたせいで、一瞬、何を言っているのか理解できなかった。そこへ、さらに畳みかけるように問われる。
「いまから彼に会いに行かない?」
「えっ……え……なんで……?」
「彼のことずっと気にしてたよね」
 図星を指されて息を飲んだ。はっきりと口にしたことはなかったはずなのに、どうして。何となくいたたまれなさを感じて黙り込むが、彼は気にする素振りもなく話を続ける。
「中学生になったら会わせてもいいかなって考えてたんだ。公安の知人に聞いたら、明日からしばらくは外の任務に出るけど、今日なら夜まで警察庁にいるってさ。もちろん会いたくなければ会わなくていいし、心の準備ができてないなら後日でもいい。ただし会うときは僕も同席させてもらうけど。どうする?」
「……今日、会わせて」
 いきなり言われて心の準備などできているはずがない。それでもせっかくの機会を逃したくない。ドクドクと痛いくらいに心臓が早鐘を打つのを感じながら、まっすぐ彼を見つめてそう告げた。

「二人とも掛けたまえ」
 楠警察庁長官に促されて、遥と七海は革張りのソファに並んで腰を下ろした。遥は普段と変わらない落ち着いた様子を見せているが、七海は場の雰囲気に気後れして緊張を隠せない。背筋を伸ばしながらも遠慮がちにきょろきょろとあたりを窺う。
 ここは警察庁長官の執務室である。
 警察庁長官というのは警察庁でいちばん偉い人だと聞いた。この執務室もそれにふさわしい威厳のある作りになっている。ただ、奥の広い執務机でひとり書類に目を通しているその人は、威厳というより鋭利なナイフのような冷ややかさを感じさせた。
 七海たちは彼の意向ということでこの執務室に連れてこられた。じきに拓海も来るらしいが、どうしてこんなところで会わなければならないのかわからない。不安に思いながらも、遥が当たり前のように受け入れているので従うしかなかった。

 コンコン――。
 七海たちがおとなしく待っていたところへ、ノックの音が響いた。
 ゆったりと椅子にもたれていた楠長官が、入れ、と低めながらもよく通る声で応答する。七海は緊張で体をこわばらせて音のほうに目を向けた。年季の入った木製の扉がゆっくりと開いていくのが見える。そして――。
 ハッとして、はじかれたように立ち上がった。
 扉の向こうにいたのは思ったとおり拓海だった。最後に見たときと外見はほとんど変わっていない。こちらが目を見開いて立ちつくしているのと同じように、彼の方も七海を見たまま目を見開いて動きを止めていた。
「座ったらどうだ」
 執務机のほうから存在感のある声が聞こえて、我にかえった。七海に言ったのか拓海に言ったのかはわからないが、隣の遥にぽんと肩を叩かれて一緒に腰を下ろす。拓海も無言のまま歩を進めて二人の正面に座った。
「七海……元気そうでよかった。大きくなったな」
「拓海は変わらないね」
 昔と変わらない調子で声を掛けられたことにほっとし、笑顔で応じる。
 しかし、次の瞬間――彼の表情があからさまに険しくなった。思わずビクリとしたが、それが七海でなく遥に対するものだということは、その射るような視線をたどればすぐにわかる。
「警戒のつもりか牽制のつもりかは知らないが、その殺気をおさめてくれないか。さすがにこんなところで事を起こす気はない」
「油断はしない主義なので」
 遥が身じろぎもせず受け流すと、拓海は眉を寄せた。
 殺気といわれても七海にはよくわからないが、二人のあいだには確かに緊迫したものを感じる。困惑して執務机のほうに目を向けると、楠長官はゆったりと椅子にもたれたまま面白がるように口元を上げていた。
「七海」
 ふいに名を呼ばれ、七海はドキリとして正面の拓海に向きなおる。彼は再びこちらに目を向けていた。もう遥のことを気にするのはやめにしたらしい。
「橘家で暮らしていると聞いたが」
「うん、良くしてもらってるよ」
「学校にも行ってるんだな」
「今日が中学の入学式だったんだ」
「そうか」
 彼は七海の着ている濃紺のセーラー服を見つめて、曖昧な笑みを浮かべる。そこには自責の念がにじんでいるように感じられた。七海を騙して学校にも行かせなかったことを、すこしは申し訳ないと思っているのかもしれない。
「……えっと、拓海はどうしてる?」
 会話が途切れてしんと静まりかえると、今度は七海から尋ねた。拓海は目を伏せて答える。
「俺にはもう仕事しか残っていない」
「今もあのマンションに住んでるの?」
「ああ……七海の部屋もそのままだ」
「片付けていいのに」
 思わずそう言ったが、七海に遠慮してそのままにしていたわけではないだろう。仕事が忙しくて時間がなかったか、面倒で放置していたか、あるいは――寂しくて片付けられなかったのかもしれない。感傷と困惑の入りまじった微妙な気持ちが湧き上がる。
「ねえ……もう、死のうとかしてない?」
「ああ、七海が死ねと言わないかぎりは」
 彼は温度のない平坦な声で答えて七海を見つめた。まるで本心を探るかのように。一瞬たじろいだものの、目をそらすことなく負けじと強気に見つめ返す。彼のペースに飲まれるわけにはいかない。
「僕、ずっと考えてたんだけどさ」
 そう前置きをし、ゆっくりと呼吸をしてから続ける。
「お父さんが勝手に武蔵を逃がしたんだとしたら、拓海はすごく頭にきたんじゃないかな。親友の自分を裏切ってまで武蔵を助けたんだもんね。お父さんのこと殺したくなかったって言ってたけど、本当は憎らしくなって、それで……」
 話を進めるにつれてドクドクと鼓動が強くなり、ついには言葉を紡ぐことができなくなった。プリーツスカートの上にのせた手をグッと握る。重い静寂に息が詰まりそうになったころ、拓海が口を開いた。
「殺したくなかったのは本当だ。俺は最後まで親友のつもりだった……が、俊輔の気持ちはいつのまにか俺から離れていた。あの男に同情し、そのことを注意した俺を敵視するようになった。だから憎らしい気持ちもなかったわけじゃない。ただ、殺した理由は本当にあのとき言ったとおりだ。他の誰かに痛めつけられて始末されるくらいなら、いっそこの手で葬ってやりたい……そこに一ミリたりとも憎しみがなかったとは言い切れないが」
 淡々と語ったあと、無表情のまま七海をじっと見つめる。
「七海が許せないなら、死んで償う」
「……死なれたら寝覚めが悪いよ」
 七海はぎこちなく笑って肩をすくめた。
 聞きたかったのは嘘偽りのない本当のことだ。それがどんなものでも受け入れるつもりでいたし、いまさら償ってもらおうなんて思っていない。ただ、父親の言い分を聞けないのはやはり残念に思う。
 ひそかに横目で隣を窺うと、遥は隙のないまなざしで拓海を見据えていた。いまだ警戒を解かず、いつでも飛び出せるように身構えている。それでも七海たちの邪魔をする気はなさそうだ。
「もうひとつ、気になってたことがあるんだけど」
「ああ」
 七海が話を続けると、拓海は静かに相槌を打った。
 きっといまなら何を尋ねても正直に答えてくれる気がする。たとえ自分にとってつらい話になるとしても聞いておきたい。緊張で喉が張りつくのを感じながら、表情の変わらない拓海を見つめて唾を飲み、本題をぶつける。
「お父さんの敵を取ったあとのことは、何か考えてた?」
「……自分が死んだあとのことなんかどうでもよかった」
「僕のことも?」
「ああ、将来を案じるなら死んだことにはしないだろう」
「そっか……そうだね……」
 拓海がひそかに考えていた敵討ちの計画は、七海に武蔵を殺させ、そして拓海自身を殺させるというものだった。そうすると七海はひとりぼっちになってしまう。死んだことになっているので誰も七海の存在さえ知らない。
 そんな状態で、どうやって生きていけばいいのかわからない。
 もしかしたら拓海が何か考えてくれていたのかもと思ったが、そうではなかったらしい。彼にとっては本当に復讐の道具でしかなかったということだ。奥底から何かがこみ上げてくるのを感じてうつむいた。
「……もう聞きたいことは聞いたから、帰ろう?」
 一拍の間のあと、どうにか普段どおりの声をよそおって遥に声を掛けた。彼は小さく頷いてわかったと答えると、ソファから立ち上がり、奥の執務机にいる楠長官のほうに体を向ける。
「私たちはこれで失礼します」
「ああ、橘会長によろしくな」
「伝えておきます」
 遥が一礼するのを見て、七海もあわてて立ち上がりぺこりと頭を下げた。
 そのあとソファに座ったままの拓海をちらりと見たが、遥に肩を抱かれ、急き立てられるように学生鞄を掴んで歩き出した。しかし扉を開こうとした彼の手を無言で押しとどめると、ちらりと振り返り、ソファに座る拓海の後ろ姿を見てわずかに目を細める。
「じゃあね……もう会うことはないと思う」
「ああ……七海、おまえは真っ当に生きろ」
「勝手だね」
 すこし上擦った声でそう言い捨てるなり前に向きなおり、グッと奥歯を食いしばる。そして一呼吸おくと、乱暴ともいえる勢いで叩きつけるように扉を開け、スカートをひらめかせながら執務室をあとにした。

「よく我慢したね」
 エレベーターの前まで来ると、遥が隣からハンカチを差し出してきた。
 それを目にした途端、堪えていた涙がぶわっと一気にあふれた。あわててハンカチを受け取り目元に押し当てる。こんなところでみっともなく泣きたくはないが、一度こうなってしまってはなかなか止められない。
「あんなやつに涙を見せずにすんでよかったよ。もったいないし」
「うっ……もったいないって何だよ……っ……意味不明すぎ……」
 しゃくり上げながらつっかかるように言い返すが、遥はうっすらと口元に笑みを浮かべるだけだった。結局、七海が落ち着くまでエレベーターのボタンも押さず、そのままただ黙って待っていてくれた。

 二人は警察庁をあとにする。
 外は風が強くなっていた。セーラー服の風通しの良さに慣れたわけではないが、いまはスカートが風をはらむのを心地良く感じる。うららかな春の陽射しを顔いっぱいに浴びながら、大きく伸びをし、さっぱりとした笑みとともに隣の遥に振り向いた。
「連れてきてくれてありがとう。おかげでふっきれたや」
「そう」
 すこし無理をしていることに、鋭い彼なら気付いているに違いない。それでも余計なことは何も言わず、たださらりと受け止めてくれた。それがどれだけ七海の救いになったか、きっと彼は知らない。
 ぐうぅぅぅ――。
 気が緩んだ途端におなかが鳴った。
 七海はゆでだこのように顔を赤らめながらあたふたする。どうしていつも変なタイミングで鳴るんだろう。隣を見ると、遥がおかしそうにくすくすと笑っていた。恥ずかしさと腹立たしさを感じてますます顔が熱くなる。
「お昼の時間だいぶ過ぎたからね。どこかで食べて帰ろう」
「うん、パフェも食べたい!」
 明るく声をはずませると、くるりと身を翻して階段を駆け下りていく。その足取りは、自分でも驚くほど軽やかになっていた。