機械仕掛けのカンパネラ

第6話 憎むべき父の敵なのに

「遥が手荒なことをして悪かった」
 武蔵と呼ばれていた男は、七海を縛っていた両手両足の縄をナイフで切ると、神妙な面持ちでそんなことを口にした。その声からも、表情からも、申し訳ないという感じがにじみ出ている。
 てっきりナイフで刺し殺されるとばかり思っていた七海は、唖然として彼を見上げる。手首には噛みついたあとがくっきりとついていた。お父さんの敵だ、殺さなきゃ、などと喚いて噛みついた相手を解放するなんて、いったい何を考えているのだろうか。
 しかし、自由になったからといって目の前の男を殺せるとは思えない。唯一の武器である拳銃はあの若い男に取り上げられてしまった。体格差を考えると、捨て身でかかっていったところでどうにもならないだろう。
 それがわかっているから警戒もしないで拘束を解いたのかもしれない。だからといってこのまますんなり帰してくれるとも思えない。ふたりきりにしてくれと頼んでいたのだから何か思惑があるはずだ。
 眉間にしわを寄せてつらつらとそんなことを考えていると、彼がふいに目の前にしゃがんできてビクリとした。思わず顔をこわばらせながら、床についた手をひそかに握り、身構える。
「どこか痛いところはないか?」
「別に、ない……」
 たとえひどい怪我をしていてもこの男に告げるつもりはない。しかしながら幸いにも実際に怪我といえるほどのものはなかった。縛られていたところがヒリヒリするし、車のトランクでぶつけたところがすこし痛いが、その程度である。
 彼は深い海をたたえたような瞳でじっと七海を見つめた。
「坂崎七海……」
 確認するようにフルネームを呼ばれてついと眉を寄せる。父親の敵である男に名前を呼ばれるなんて不快でしかない。しかし、彼は反抗的なまなざしを気にする様子もなく言葉を継ぐ。
「おまえの父親は坂崎俊輔だな?」
「えっ……知ってるのか?」
「ああ、俊輔には良くしてもらった」
「だったらなんで殺したんだ!!」
 カッと頭に血がのぼり、こぶしを握りしめながら声を荒げる。
 彼は動じることなく真顔のままうっすらと目を細めた。
「七海は俺が殺したと思ってるんだな」
「あのときおまえを見たんだぞ!!!」
「七海、おまえのその目で何を見た?」
 問われなくても、その光景は毎日のように思い返している。
 大きな血溜まりの中に倒れていた動かない父親。その傍で月明かりに照らされて立つ金髪碧眼の男。髪の色こそ違うものの、顔の造作も、背格好も、瞳の色も、目の前にいる男と同じである。彼の手はべったりと赤黒い血で染まっていた。
 記憶をたどるにつれて激しい憎悪が湧き上がる。目の前に父親を殺した張本人がいるのでなおのこと。言い逃れるつもりかもしれないが取り合う気はない。誰が何と言おうと七海ははっきりと目撃したのだから。しかし――。
「刺したところを見たわけじゃない、違うか?」
「…………」
 言われてみれば確かにその瞬間は見ていなかった。だからといって彼が犯人でないとはとても思えない。決定的な場面を見られていないから言い逃れられる――そんな舐めたことを考えているなら大間違いだ。
「だから殺してないって言いたいのか?」
「さあ、どうだろうな」
 てっきり肯定するものとばかり思っていたのに、彼は目を伏せてふっと曖昧な笑みを浮かべた。どういうつもりか知らないが随分と思わせぶりだ。何となく馬鹿にされているように感じて苛立ちがつのる。
「ごまかそうたって無駄だ!」
 ぐうぅぅぅ――。
 大声を張り上げると同時に、おなかも盛大に鳴った。
「あ……」
 あまりに間の抜けた醜態にぶわっと顔が熱くなる。きっとゆでだこのように真っ赤になっているだろう。おろおろとうろたえながら目を泳がせていると、武蔵はくすっと小さく吹き出した。
「もうお昼だいぶ過ぎてるもんな。何か作ってやるよ」
「……敵からの施しなんて受けない」
「堅いこと言うな。腹が減っては戦ができぬ、だろ?」
 それまでとは別人のような人なつこい笑顔でそう言うと、仏頂面の七海を宥めるようにぽんぽんと頭に手をのせ、すっと台所の方へ向かっていった。

 トトトトトン、グツグツ、ジュウジュウ――。
 七海はぺたりと床に座ったまま、台所に立っている武蔵の後ろ姿を眺めていた。彼が軽快に動きまわるにつれていろんな音がする。そして次第に食欲をそそるいいにおいがしてきた。堪え性のない七海の腹は、さきほどからずっとぐうぐう鳴りっぱなしだ。
「七海、できたぞ」
 ダイニングテーブルに二人分の食事を準備して、武蔵が声をかける。
 こいつはお父さんの敵なんだ――七海はおいしそうな食事を目の当たりにしてぐらりと決意が揺れるが、それでも行くまいと唇を引き結んで耐える。しかし。
「な、作っちまったんだから食べてくれよ。もったいないだろう?」
「…………」
 目の前にしゃがんで笑顔でそう言われると無視できず、促されるまま腰を上げてしまった。彼からの施しを受けるわけじゃない、もったいないから食べてあげるだけ、と自分に言い訳をしながら、ダイニングテーブルの用意された席に着く。
 そこには湯気の上がるミートソーススパゲティ、ポタージュ、彩りのいい生野菜のサラダが並んでいた。まるでレストランで出されるようなきれいな盛りつけだ。その見た目も、漂うにおいも、すごくおいしそうでごくりと生唾を飲む。
「毒なんか入れてないから心配するな」
 武蔵は何気ない調子でそう言い、先に食べ始める。
 毒を入れる可能性なんて考えもしなかった。そう言われると逆に気になってしまうが、七海の正体を知ったばかりで準備の時間はなかったはずだ。フォークを取り、不器用な手つきでおそるおそるスパゲティを口に運ぶ。
「……おいしい!」
 途端、目を丸くして感嘆の声を上げた。
 大好物であるコンビニのスパゲティにも引けを取らない。いや、比べものにならないくらいおいしい。ミートソースが濃厚で深みがあり、麺も硬すぎず柔らかすぎず食べごたえがある。何より出来たてほやほやで熱いくらいなのがいい。
「こんなおいしいの初めて食べた!!」
「そりゃ良かった」
 武蔵はくすりと笑った。
 七海は脇目もふらず一気に平らげると、すっかり満足して自然に顔をほころばせた。氷の融けきっていないグラスの水を飲んで一息つき、正面の武蔵に目を向ける。ちょうど彼も食べ終わったところのようだった。
「ねえ、僕をここに連れてきた遥って人、武蔵とどういう関係?」
「親戚だ」
 何となく気になっていたことを尋ねてみると、彼はさらりと答えてくれた。
 誘拐犯と被害者の家族という間柄にしてはやけに親しそうに見えたが、そういうことかと納得した。いつかテレビで言っていたとおりお家騒動だったのかもしれない。懸賞金を取り下げたときにはもう和解していたのだろう。
 そうであれば、橘の協力は期待できない。
 ひとりで来ようにもここがどこかさえわからない。それならいまこの機会に目的を果たすのが得策だろう。おいしい昼ごはんを食べさせてもらったばかりで気が引けるが、敵は敵だ。武蔵を殺さないことには復讐が終わらないのだから。
 どうしようかと思案をめぐらせているうちに、武蔵が後片付けを始めた。てきぱきと食器を集めて流しで洗う。七海はその隙だらけの後ろ姿を眺めながら、今なら何かで殺せるのではないかと思ったが、ちょうどいい武器が見つけられなかった。

「今日はもう帰れ。送っていくから」
 後片付けを終えて戻ってきた武蔵は、どこにあったのか七海のキャップを手渡しながら言う。だが、七海としてはそんな一方的な指図を承服できるはずがない。
「嫌だ、武蔵を殺さなきゃ帰らない」
「拳銃がないのにどうやって殺すんだ?」
「それは……あ、じゃあ包丁貸してよ」
「自分を殺すための道具を誰が貸すかよ」
「…………」
 当然だ。自分で探そうにも簡単に探させてくれるとは思えない。冷静に考えるとやはり不可能ではないかという気がしてきた。だからといって、このまま何もせず引き下がるなんて絶対にしたくない。
「いったん帰った方がいいんじゃないか?」
「帰ったら二度と会えないかもしれないだろ」
「俺は逃げないけどな」
「でも僕はここがどこかもわからないんだぞ」
「ああ……」
 彼は大きく身を乗り出してテーブルの隅に置いてあったメモ帳を取ると、さらさらと何かを書いてちぎり七海に差し出した。
「俺の携帯番号と住所」
 その紙切れには、確かに電話番号と住所らしきものが書いてあった。
「一応、秘密にしてるから誰にも教えるなよ。ただな、ここに来るには山を歩かないといけないし、住所があってもたどり着くのは難しい。用があるときは電話してくれれば迎えに行く」
「……わかった」
 逃げるんじゃない、戦略的撤退だ。七海は自分自身にそう言い聞かせて納得させる。いまここで当てもないのに居座るより、態勢を整えて出直した方がいいだろう。連絡先さえわかればいつでも来られるのだから。
「でも送ってくれなくていい。自分で帰る」
「この辺じゃタクシーも捕まらないぞ?」
「…………」
 そういえば、ちらりと見た感じではずいぶん山の方で、周辺に住宅などは見当たらなかった。七海は奥歯を噛みしめてうつむき、テーブルの上でぎゅっとキャップを握りしめる。
「家を知られたくないなら、近くの駅で降ろしてやるから、な?」
 他意のなさそうな優しい口調。
 そこまで配慮してくれるのなら頼ってもいいかもしれない。というかひとりで帰れないのなら頼らざるを得ない。不本意だという気持ちをあらわにしながらこくりと頷き、付言する。
「でもトランクに押し込まれるのは嫌だからな」
「安心しろ、そもそもトランクなんてないから」
「えっ?」
 七海がきょとんとすると、彼は思わせぶりに口の端を上げて目を細めた。

 緑の生い茂る木々のすきまから木漏れ日が落ちている。無数の細い光が降りそそぐ様はとても幻想的だ。昼下がりの陽気の心地よさと、澄んだ空気のさわやかさに、七海は張りつめた気持ちが凪いでいくのを感じた。
 山小屋を出て連れてこられたのは大型バイクの前だった。それを目にして、ようやくトランクがないという彼の言葉を理解した。
「これをかぶれ」
 武蔵はそう言ってヘルメットをひとつ投げてよこす。彼自身がかぶるのを見て、七海も素直にキャップを脱いでかぶった。武蔵のはフルフェイスで七海のはハーフタイプだ。子供用なのか七海の頭にちょうどいいサイズである。
「乗れるか?」
「バカにするな」
 すでにバイクに跨がっている武蔵の服を掴み、ステップに足をかけ、不格好ながらもどうにか後部座席に跨がった。武蔵は七海の手を取って自分の腰にまわさせる。七海は自然と広い背中に寄りかかることになり、その体温を感じてドキリとした。
「しっかり掴まってろよ」
「……今度は絶対に殺すから」
「ああ、待ってる」
 本気にしていないのか、武蔵は軽く応じてエンジンをかけた。
 ブォン――小さくない音と振動が体に伝わってくる。そのときすこし車体が傾いてずり落ちそうになり、あわてて彼の腰にまわした手にぎゅっと力をこめる。行くぞという声が聞こえて頷くと、二人を乗せたバイクはゆっくりと山道を走り出した。